«  国連「気候サミット」では「2050年実質排出ゼロ」の国際合意を! | メイン | これからも地道に木を植え続けていきたい »

2019年7月15日 (月)

「杜」という森に込められた想いを胸に森づくり

1 間もなく見られる中倉山の青空

  今から約400年前の伊達政宗は家臣たちに、「屋敷内には飢餓に備えて、栗・梅・柿などの実のなる木や竹を、また、隣との境に杉を植えるように」奨めました。こうしてできた屋敷林と、お寺や神社の林、そして広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となって仙台は、まち全体が緑に包まれまと言います。この「まち全体が緑に包まれる姿」は、明治42年には、「森の都」として仙台の観光案内書に記されています。また、昭和に入って間もない頃には、「杜の都」と表されるようになり、この姿は昭和20年の仙台空襲前まで残っていました。

Photo 足尾「臼沢の森」

「杜の都」の「杜」は、そのまちに暮らす人々が協力し合い、長い年月をかけて育ててきた豊かな緑と暮らす人々の森への願いが込められていることを意味するのではないかと思っています。そこには、「神社や寺、屋敷を囲んでいる『緑』、人々がていねいに手入れをしてきた『緑』が仙台の宝」という市民の想いが込められているように見えます。  

Photo_2  私が、森びとで足尾の草地や荒廃地に植樹して感じていることは、先輩方がよく口にする言葉でもありますが、「人間の都合で木は育たない」ということです。

 今年の梅雨の様に晴れ間が少ない時には“雨が降って植物には良い”と油断していると、昨年植えた幼木は草との競争に負けて、太陽のエネルギーをもらえなくなってしまい、幼木が衰弱する状態にしてしまいます。また、ポットで育てている幼木のポットの底では草の根が充満して、幼木の根を衰弱させてしまいます。仕事の合間に植林ボランティアしている筆者としては、どうしても自分の都合の合間に森づくり活動しなくてはなりません。リタイヤした先輩たちは「俺たちは“サンデー毎日”だ」と言っていますが、足尾の森を観ていると、木々は先輩たちの育樹活動に応えて生長しています。

Photo_3  私たちが育てている森の中には「民集の杜」という一角があります。多分、この名前は先輩たちの色々な想いが込められているのだと思っています。森は、私たちの暮らしで欠かすとのできない役割をもっています。月一回の森作業になっている私ですが、森の大切さを感じる大切な日であります。(事務局 福澤 猛)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/330076/34184868

「杜」という森に込められた想いを胸に森づくりを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿