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2019年8月15日 (木)

子供たちに自然豊かな地球を残そう!

2008年8月15日、小学校5年と3年生(当時)になる娘たちと足尾の臼沢に木を植えました。森びとがスタートし、子供たちと近所の林や公園で種を拾い、ポット苗で3年間育てたコナラ、モミジ、イヌシデです。上の娘は、黒土を背負子に載せ運んでくれました。
当時、臼沢の木々は背丈が低く日陰もない斜面でしたが、下の娘も姉の背中を追い一歩一歩階段を登ってくれました。植樹スペースを見つけ、穴掘りは父の役目だ。70cm×70cmの穴を掘り、娘の担ぎ上げた黒土と腐葉土、掘り起こした土を「まじぇる、まじぇる、まじぇる」し、育てた苗木を子供たちと植えました。
汗だくになりましたが、足尾の山に「小さな命」を植えることができ満足の笑顔です。63年前(当時)、世界各地で多くの人々の命が奪われ、自然が破壊された戦争が終結したことを知らない子供たちですが、白いプレートに家族の名前と願いを書き、根元に立てました。
プレートには『子供たちに自然豊かな地球を残そう!2008.8.15終戦記念日』と、親の願いが書き入れられました。

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今月10日、臼沢上部に植えた幼木が草に覆われていることから、“みちくさ”舎人の小川スタッフと草刈りに登り、草に埋もれた幼木に風を通しました。人間が植えた苗木は、草に負けないように3年間の草刈りが必要であり、「人間の都合で森は育てられない」ことを再実感しました。

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下山の途中で2008年に植えた木々の生長を確認しました。周りの木々との競争で幹は細いですが、樹高は5mを超え、見上げると太陽の光をたくさん浴びるように枝葉を広げていました。「我が子」の生長を見るようで、「しっかりと大地に根を張り、森に暮らす生き物と共生できる樹へと生長しろよ」と手をかけました。

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子供たちと木を植えるきっかけとなったのは、1週間前(2008年)に父娘で参加した「森びと親子自然教室」でした。子供にとっては初めてのキャンプでした。日光中禅寺湖畔に生きる400年~600年のミズナラの森の中で、樹に触れ、落ち葉を集め、風の音や波の音を聞き、感じたものを表現したり、伝えることで、一人ひとりが感じることの違いを知り、認め合う「友達になる」ことを学んだと思います。あれから11年。「山に木を植えた」子供たちは「大学」過程に進み、教育や看護の道を目指し、「人間の命を大切にする」自分づくりに汗を流しています。


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74年前の8月6日広島、8月9日長崎に米軍によって原爆が投下され、多くの人々が犠牲となり、街は焼け野原となりました。広島平和記念公園内に育成する被爆したアオギリの二世が「広島の平和の心をいつまでも忘れずに伝え、平和を愛する人の輪を広げていく」ことを目的に苗木が世界に配布されています。アオギリは“平和を愛する心”、“命あるものを大切にする心”を後世に継承するために被爆アオギリが実らせた種を発芽させ育てています。
恥ずかしい話ですが、栃木県では平成27年に日光東照宮で育成している楓(フウ)と被爆アオギリを、平和への願いを込めて交換したことを今年知りました。小さいポット苗を東照宮で2年間育て、美術館前庭に植樹されました。先月7月26日に日光東照宮を訪れ「アオギリ二世」に会いに行きました。

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戦争経験者が少なくなる中で、経験者の体験を聞き語り継ぐことは大変重要なことだと思います。長崎で被爆した男性は「平和憲法を守り、戦争や核兵器もない世界を実現する指導的な役割を果たせる国になってほしい」と唯一の被爆国日本の為政者に訴えています。

現在、地球規模の気候変動によって豪雨、土砂崩壊、山林火災、海の温暖化によって人類ばかりでなく、森や海に住む生物の命も奪われ続けています。経済優先から、CO²吸収源である「いのちの森づくり・海づくり」を世界の「潮流」にしていくことが求められているのではないでしょうか。

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(事務局・清水卓)

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