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2012年6月

2012年6月25日 (月)

森は知恵を養い、元気を育む

 

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 小川眞先生は、『キノコの教え』―それは共生―という本を岩波新書から発行した。発刊した理由は、「菌類は化石にならなかったために、ごく最近まで生物進化の系列から外されてきました。そこで可哀そうなキノコに代わってちょっと自己主張をしてみようと思い立ちました。昨年の大地震・津波・原発事故の災害では、キノコがいい意味でかかわっていることが分かり、これからキノコを生かした海岸林再生やセシウムの封じ込めなどを始めようとしています。そのため、この本の印税はすべてその活動資金といたします」(一部抜粋)と書いています。“森とも”の皆さんへお勧めです。

 

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 昨日の足尾の森づくりと一昨日の「こうさいの森観察会」(山形県)では、参加した若者たちの真剣なまなざしに感動しました。足尾では、植樹が終わって解散しようとした時に「握手してくれませんか」と参加者から言われた。彼女に何かを伝えられたのか、と感動した。今日のメールには桐生ローターアクトクラブ会長・須永達也さんから「参加して良かった」「失った自然を取り戻すことは途方もないことだと思った」という参加者の声が届いた。山形では、山形大女学生は「もう少し早く観察会があったならこの観察会をレポートできた」ということを話していた。

 

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 私たちのイメージソング・『心の森』の歌詞には、「想像できないような1000年後の未来も 今この瞬間から始まっている 僕らが植える小さな苗たちは 共に命をかけて未来をつくる 根を張って心を持って 本物の木になるんだ 失ったものを取り戻し 見えない明日を植えていく」(歌手:Choji)と言う歌詞がある。

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「菌類は化石になれなかった」けれども未来のいのちを守る植物には欠かせない存在だ。未来のいのちをつくる共同体の“森とも”だ。若い“森とも”たちの知恵を養い、元気を育むのは森だ。そして若者たちは60歳過ぎた私たちに檄を飛ばしてくれる。そんないのちの源は虫たちと共生している。〈OWL)

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2012年6月15日 (金)

森の中は分からないことばかり?

P6141865  森の中をじっくり見ていると足元から目の前までの草木には様々な虫たちが生きている。写真の虫も何という虫たちなのか分からないし、どのように生きているのかも分からない。 

P6144369 足元のスミレをよぉーく見ていると、スミレの小さな周囲には蟻が働いている様子が見る。調べてみると、どうもスミレが生きていくために蟻に蜜を与え、受粉を手伝ってもらっているようだ。蟻はスミレが組成した糖、アミノ酸をいただいて蟻の子孫を残している、という。

P6144328  森の中は生きものたちの共同体である。その生きもののひとつが私たちである。私たちは食物連鎖の頂点に立っているが、他の生きもののために何を与えているのかと問われると答えが出てこない。

P6141847  「植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが、人間は植物が無くては生活の出来ぬ事である」(『牧野富太郎自叙伝』)と言うように、私たちが生きていられるのは植物のお陰であり、森の恵みのお陰だ。特に、ゲンノショウコ、ドクダミ、センブリ等の「和薬」と言われている日本の代表的な薬は、いのちを守ってくれている分かり易い森の恵みである。

P6144336  森の共同体の生きものとして私たちは何をなすべきかを掴むには、森の恵みを体感してみないと分からない。しかし、森の中は分からないことばかりだから、“森とも”になって分かり合える努力が面白い。森が「真の文明」へ舵をきるところかもしれない。(OWL)

2012年6月13日 (水)

何事も現実に向き合ってやり抜くことは大変ダー!

P5261703  いのちを守るということは守ろうとしているその人の現実に向き合わないと単なるスローガンで終わってしまう気がしている。

物忘れが多くなった両親のいのちを守るということは、一緒に暮らしてみると大変なことであると分かった。何度も同じ話に付き合う、何度もトイレの場所を案内する、階段を上り下りする度にフォローする、風呂は一緒に入らないと背中も流せない等々とぶつかったが、いつものように暮らしている両親と向き合ってみると、少しでも傍にいることが一番の長生きの素である気がした。

P6123012  いのちの源である森と生きるということは、森に生かされている生物のひとつである人間が森の恵みを独り占めにしないことであり、使い果たしてはならないということである。

そこには“我慢”が内包され、独り占めにして使い果たそうとしている勢力に警告を発しなければならない。

 前回に紹介したメジロの巣から親が立ち去ったようだ。一週間後に巣を覗いて見ると卵がひとつだけ残っていたが、次の日にはその卵もなかった。森の有り難さを独り占めしようとした私の行為がそうさせたのかもしれない。これを見た私は、“いい写真が撮れた”という自慢みたいなことを“我慢”できなかったことを恥じる。“森と生きる”ということは、メジロに負担を与えない方法で写真を撮ればよかったと反省している。

P5211533  地震や津波からいのちを守るためには“逃げる”ということが一番であることを3・11で学んだ。未来を生きるいのちを守るためには津波に遭っても“親と一緒に逃げる”時間を稼いでくれる森が自然の恵みだ。森の防災堤づくり応援も東日本大震災で犠牲になった皆さんの現実に立ってスローガン倒れにならないようにしたい。

P6113001 原発再稼働を認めようとしている民主党・野田代表も原発事故で避難生活を強いられている県民の現実に立っていないし、高齢化社会で介護生活をしている多くの国民の現実に立たないと民主党の社会保障制度も自民党に流されてスローガン倒れになってしまう。エゾハルゼミの合唱にもメッセージがあるのかもしれない。野イチゴが間もなく美味しい恵みをくれる。(OWL)

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2012年6月12日 (火)

森の恵みを採り入れます!

 6月10日の日本農業新聞のコラムにニセアカシアの記事が出ていました。冒頭には、「花の天ぷらをいただいた。ほんのり甘く、サクサクとしておいしかった。地方によっては当たり前の初夏の味覚」と書いてあり、東京事務所では足尾ではお馴染みのニセアカシアが食べることができることに驚きました。

  ある山間地のJA組合長の「こんなにうまいものを知らないなんて。都会の人は・・・」とため息をついたとも紹介をされるほど、食せることは有名なのだと思います。

  調べてみたら、ホワイトリカーに漬け込んでつくるアカシア酒は強い甘い花の香りがして精神をリラックスさせる効果があるそうです。

  函南の原生林に入った際に、私は「森の中で1日も生活できないのではないか」と言われましたが、ものすごく納得しました。それは森の中にある木の実やキノコなど何が食べることができて、何が食べることができないのかを知らないからでした。

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  現代はお金があれば、例えばおにぎりやパンを買ったり、おかずを買うことが簡単にできる社会で、私はそこにどっぷり浸かっていました。森の恵みや旬の味などは意識をし、行動をしないとできませんので、まずは次に足尾に入った際は、ニセアカシアの花を摘んで、天ぷらを作って自分の舌で初夏の味覚を感じてみたいと思うのでした。

 

2012年6月 6日 (水)

森に入って自然の恵みを発見しよう!

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 「自然の恵みを暮らしと社会へ活かす時代」へ歩み始めるには生物社会の一員である己を改めて見つめなおす必要がある。森楽連に投稿した哲也さんの言うように「森は人間が生きるインフラのインフラ」であるということを実感するために。

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 父が米寿を迎えるので一週間両親と一緒に暮らすことにした。弟が両親を介護してくれているので弟のストレスを解消するためでもある。その準備を自宅で行い、その合間に久しぶりに森を歩いた。松木村にも若葉が茂ると蟻、アブラムシ、毛虫などが若葉に集まってくる。

 葉を餌にする毛虫たちが増えてしまうと森は弱ってしまう。松木にはノビタキやホオジロたちが子育てをしている。若葉に集まっている虫たちを餌にする鳥たちによって木々の葉は枯れるほど食べられなくて森は育まれる。自宅の木々の葉に隠れてメジロが子育てをしている様子(写真:3枚目)を観てこんなことを考えてしまった。

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 森の中ではウワミズザクラ、ミヤマザクラが白く小さい花びらを雨に濡らしていた。雨が止むとこの花に蜂が集まり、蜜を集めた蜂は受粉を手伝う。9月下旬なるとウワミズザクラの実が熟し、この実で果樹酒を作り、年末には不老長寿の酒となって私の長生きを助ける。長生きができるのも森の恵みがあるからだ。オーストラリアの海岸にはストロマトライトという微生物集合体が生きている。岩のように見えるが光合成をおこなって酸素を放出しているという。この酸素が地球を覆ってオゾン層を形成して紫外線を遮って私たちの快適な暮らしを支えている。

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 「森と生きる暮らしと社会」、「自然の恵みを暮らしと社会へ活かす時代」へ歩み始めるのか、いのちを犠牲にして原発に頼る暮らしと社会のどちらかを選ぶのは私たち。叫んでいるだけでは何も解決しない。”森とも”ができるアクションを結集させる場に「森楽連」を育てよう。(OWL)