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2012年7月

2012年7月29日 (日)

世田谷いのちの森づくり植樹祭のご案内

世田谷区在住の森とも、「どんぐりスト工房」(世田谷に植え隊!!)さんから、9月9日(日)にある世田谷植樹祭の案内がありましたのでご紹介します。当委員会の最高顧問・宮脇昭が指導し、世田谷区・毎日新聞などが主催する植樹祭とのこと。参加者・ボランティアを募集していますので、興味のある方は世田谷に植えたいのホームページをご覧ください。

世田谷に植えたい!!ホームページ

個人的なことですが、足をけがしてしばらく山にも森にも近づけない状態がつづきました。松葉杖の不自由さが身にしみ、周りの皆さんの優しい心遣いを感じた2ヶ月間でしたが、やはり山の空気が吸えないのはなかなかしんどいものでした。本日、久しぶりに足尾にはいりましたけれど、やはり山・森・自然はいいですね!来週は森びと「夏の会」(まだまだ募集中です!!)楽しみです~(くろちゃん)

2012年7月27日 (金)

連日の猛暑と付き合う知恵と技?

P7272268  1964年前後の夏は最高気温が33度以上あがっていた記憶がありません。この頃の日本はコンクリートジャングルという言葉もなく、猛暑によって救急車で運ばれたというニュースも報道されていませんでした。夏休みの私たちは暑ければ河原に行って水遊び、親は朝早く野良仕事をして、暑い昼前後は雨戸を開けて横になり、夕方になるとひと仕事をしていました。よって子どもだった私は、茄子、ピーマン、ソーセージの油炒め等で夕飯の用意をしていました。

P7201107 猛暑が連日続いていますが、時間のある方は公園の木陰の下とアスファルト上の気温を測ってみてください。気温の差は3~5度になっているとおもいます。アスファルト上よりも5度も低い木陰の下にいると、木々(森)の有り難さを実感できます。休日の猛暑を乗り切るには、近くの公園の木陰で過ごすことを勧めます。P7150170 自然の恵みと脅威に付き合って生きている以上、この猛暑を人間の技術力で乗り切ってやろう、そして儲けてやろうという人間の限りない欲の追求と傲慢な行為は、昨年の3・11を経験した私たちの反省点ではなかったのではないでしょうか。改めて自然(森)の恵みを生活へ取り入れてきた先人の暮らしを公園の木陰の下で感じ取ってみてください。毛虫などに刺されないようにご注意ください。

P7222257 雲の色と動き、風の強さとその通り道そして風の温度差を身体で感じとり、天候の変化を予知して猛暑から身体を守ることを提案したい。暮らしの中で森に生きる木々を柔軟に使いこなす知恵と技を磨き、安全と危険を見極める予知能力を育んでください。(OWL)

2012年7月10日 (火)

静かな山の古木・ヤマナシの香りと実り

 

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 “森とも”から「思川通信」が届いた。彼女は森びとインストラクター一期生だ。3~4年前、彼女の案内でヤマナシの古木を観て、天然梨の実をご馳走になった。そのヤマナシの報告がこの通信に載っている。

 

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 「今年のヤマナシの花ぶりは見事だった。満開の花々がいっせいに空に向かって掌を広げ、それはまた、この日に花を開かせた喜びが白い大きな炎となって青空に燃え上がっているようにも思えた。このような光景を以前も経験したことがある。それは五年前の当会のお花見の前後だったと思うが、同行者と共にこの花を仰いだ時だった。人々の去ったところに誇り高く咲く花。同行者が詠んだ歌も懐かしい。・・・あれから五年。ヤマナシの木の周辺はすっかり景色が変わってしまった。あの杉林はすっかり伐り拓かれ、奥深いと思われた山はあきれるほどの明るさで眼前に迫ってくる。その山肌を伐り裂いて進む県道工事。ヤマナシの木の下を流れていた山からの澄んだ小川は、泥を抱える石の目立つ川と化し、心なしか水生昆虫の数も少なくなったように思う。黄色く輝いていたがカジカの卵はついに見つからなかった。だが、ヤマナシは残っている。しっかりと残っている。この古木がどれだけの時を過ごしてきたか、この地に生きてきた人々の証としてもこの木だけは生き延びさせたい。今春、見事な花を咲かせた木だ。秋にはきっとたくさんの実をつけるだろう。このヤマナシの種を拾って、ポットで育てあげたい。種が芽吹いて苗木となった時、ここに持ち寄って植えたい」と。(栃木県・Tさん)

 

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 筆者も3~4年前に拾った種を蒔いた。現在その内の2~3本が育っているが、当時一緒に蒔いたポポーの苗木なのか区別できない。Tさんに確かめていただく。今秋、自然の恵みの有難さと素晴らしさを改めて身体に染み込ませたい。(OWL)

 

 

 

2012年7月 4日 (水)

社会変革の狼煙は酒場から燃え上がる!

 

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 “森とも”からメールが届いた。筆者も参加したいと思っていた集会に参加してきた“森とも”からのメッセージだ。

 

「6月29日、首相官邸前デモに行ってきました。反原発デモのことを、現実的なビジョンがなく感情論で動いてるだけだ、と言う一部の人もいますが、感情ほど大事なものはないのではないでしょうか。

 

原発事故で生活をぶち壊されたままの人たちの行き場のない感情。原発のあるところに住み、原発に依存しなくては生活が成り立たない人たちの不安な感情。その気持ちに共感し、策を講ずるのが政治なのに、311以降もまったく発想の転換ができていない政治家たちに、とにかくNO!を言わないと、という気持ちが多くの人を動かしているのだと思います。

 

今回のデモには、自分と同世代の3040代のごく普通の人が多く参加しているという印象でした。私自身、昨年の明治公園(さようなら原発集会)以来、二回目の参加でした。前回、あれだけの人が集まったことに、何かすごいことが起ころうとしているのではないか?という単純な興奮を覚えました。でもその後の何も変わらない状況に、一体何人集まれば、この声が届くのか? 一体何をすれば政府に危機感を与えられるのか? という諦めも感じました。知識もビジョンも覚悟もないのにデモに行って、帰りにビールを飲んで日常に戻っていっていいのだろうかとも思いました。

 

でも今回、やっぱり行ってよかったと思います。原発をなくすことでおこる(とされる)不利益をこうむる覚悟は原発が無くなってからすればいい。何かおかしいという感情を抑えることはない。安全性が確保できないという理由で、あんなに呆気なく牛レバーは禁止になったのに、どうして原発は大目に見てもらえるのか。誰かがよきに計らってくれる、なるようになる、とはもう思えません。もう傍観者でいるべきじゃない。自戒を込めてそう思いました。」(N子)というメッセージでした。

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感情だけに流されることは危険だが、感情を変革への意識に高めていく体験、経験は絶対的に必要だ。集会に参加してメッセージをくれたN子さんに拍手だ。デモ参加者に遠慮して?集会解散地でマイクを握っていたある政党は大衆の蚊帳の外にいる。この現象が現代日本の政治の姿だ。ドロドロした大衆の中に入れない「政治エリート」なのだ。(OWL)