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2012年8月

2012年8月22日 (水)

野田さん!もっと自然界に学んでほしい?

 

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 昨日(21日)の夜、村田理事、宮原事務局員と11月11日に開催する「第5回森と生きるキャンパスフォーラム2012in東大」の打ち合わせをしました。その話の中で、「毎日猛暑日が続き、夜は熱帯夜で眠れないね。それにしても電力が不足しているという話はないね。野田さんの大飯原発再稼働判断はなんだったのかねぇー」という会話があった。

 

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 今日、『日本農業新聞』のコラム欄を読んでいると昨日と同じようなことが書いてあった。「政府は、夏前、原子力発電がなければ関西電力管内の今夏の電力は15%不足すると言って大飯原発の再稼働に踏み切った。ところが、連日の猛暑にもかかわらず、使用率が90%に迫ったことはあったが、超えてはいない。全国高校野球選手権が始まった8日でも80%程度。もちろん計画停電もなかった。果たして大飯原発再稼働は本当に必要だったのか」、と筆者は述べていた。

 

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 まさしくこの通りだ。暮らしの現実を見てみると、多くの皆さんが節電している結果である。この視点に野田総理が立てないところに支持率低下の原因がある。国民の良心に心を動かすのでなく、野田さんの原発再稼働の判断基準は日米の経済界やアメリカ・オバマ大統領との約束にあるのだ。

 

綺麗な花の周りを舞っている野田さん。花のいのちの未来へ橋渡しをしている蝶のような役割をやってもらいたいものだ。(OWL)

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2012年8月 8日 (水)

森に入って、環境や自然の尊さを体感

 7月29日~30日、鎌倉中央公園で(通称“山崎・谷戸”と呼んでいます)小学校4年生から6年生がテント生活と自炊生活、協力農業労働などの一泊の体験生活をしました。参加者は女の子が10名、男の子が5名、公園協会から2名、私たちは3名(うち女性が1名)で、他4名は21時までいました。

  感動の場面は、杉の木の年輪が与えてくれました。直径21cm、高さ16mの杉を切るのにあたり、子どもたちに「この木は何歳か?」と尋ねました。子どもたちからは「30歳」「40歳」などという声が出されました。年輪の数を数えながら、お父さんやお母さんのように年齢を重ねていることを話をすると子どもたちは理解してくれました。さらに「長い間生きてきていてご苦労様です」と木に手をあてる姿を見せると、不思議そうに見ていました。

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 そして、倒す方向、受け口、切り口、安全の確認などをして全員にノコギリをひかせました。木が倒れる方向はピタリでした。その後は枝払いと年輪を調べるグループに分かれました。年輪を調べるグループに来た女の子たちは「すご~い」という言葉の連発で、きれいに年輪が出ていたことに興奮気味でした。1人の女の子は残した方の木を40cmくらい切り落としたら「欲しい」と言うので、どうぞと言うと「本当~」と喜びの声をあげてくれました。3人がかりで山から下ろし、自分のテントまで運んでいきました。

 翌日、日傘をさして迎えに来た母親が子どもに共鳴を受けていた。日傘を子どもに渡して、丸太にひもを付けて持ちやすくしておいたが、自分で抱えて子どもと帰っていった。母親もすごい人でした。

(こーちゃん)

 

2012年8月 7日 (火)

“命を愛惜し、身を削って弱者に与える配慮、自然に対する謙虚さ”

P8071299  昨日から今日にかけて両親の介護をしている。朝6時半頃、玄関で話す声を聞いていると、自家から1㌔以上も離れている方からキュウリが届き、お袋がお礼に干物を差し上げている話であった。80歳過ぎの両親を気遣っての朝取りのキュウリである。

実家に帰ると老犬と散歩をするで、いつものように散歩に出た。両親の健康維持にビーグル犬と暮らすのにようにしたのだが、80歳過ぎた現在は散歩に出かけると「菜々」(犬の名前)に引きずられてしまうのでそれは出来ない。いつもの道を散歩をしていると慣れ親しんだ里山にはクリが実を付けていた。南相馬市の防災林用の苗木にできればと思った。

朝食に両親と南相馬市の防潮林づくりの話をし、潮水に強いカシワの話をした。昭和30年代には一家に1木のカシワがあったものだが、今は柏餅を作らないのでカシワの木は伐られている、という。そこで近所の旧家、母の実家にも電話をしてカシワを探すことにした。

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ペシャワール会報NO112号が事務所に届いたので中村さんのメッセージを読んだ。会報には、昨年の事業報告が載っていたが、中村さんは昨年を振り返って「自然とは人の運命をも支配する摂理であり、人の意識の触れることができない一線を画して厳存している。・・ともすれば、科学技術が万能で、人間の至福を約束するかのような錯覚に陥りがちではなかっただろうか。また自然を無限大に搾取できる対象として生活を考え、謙虚さを失っていなかっただろうか。・・必要なものは多くはない。恐らく、変わらずに輝き続けるのは、命を愛惜し、身を削って弱者に与える配慮、自然に対する謙虚さである。現地事業がその思いに支えられる限り、恐れるものは何もない」と、私に勇気とやる気を与えてくれた。

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月一度の両親介護をしているが、それが生活の一部にして暮らしている弟には頭が上がらないし、感謝である。その上、弟は狭い田圃で毎年美味しい米を作ってくれている。今年は、その藁を秋にいただいて南相馬市の森づくりと苗づくり用のマルチングにする。何もかも支えられていることに感謝だ。自然社会も人間社会も支え合うことで成り立っているようだ。

支えられていることを肝に銘じているならば、未来を生きる命の源である森との付き合い方は、中村さんのう言うとおりだ。人間の欲もほどほどに、暮らしも経済もほどほどにしていかないと自然からのしっぺ返しに多くの命が奪われる。しかし、原発を推進する政治や企業等に対する厳しさはほどほどであってはならない。67年前のアメリカ軍による日本人への原爆投下攻撃も原発推進も絶対に繰り返してはならない。

今日は立秋だ。沢風が秋の気配を届けてくれる日も近い。(OWL)