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2019年7月

2019年7月31日 (水)

これからも地道に木を植え続けていきたい

 地球温暖化といわれて久しい。夏は、より暑くなり、異常気象が世界中で猛威をふるっている。今年5月に北海道で35℃を超えた日があった。正に異常気象だ。

Img_9801 南相馬市の鎮魂復興市民植樹祭

 それに対して、我々できることは何か?CO2を減らすことであることは間違いなさそうだ。でもやっかいなのは、異常はとても人間に印象付けるが、CO2という見えないものを少なくするということは実感がともなわない。また、人間、本来、楽をしたいものだ。電気を減らすなど、費用を減らすことで実感できることはあるが、それ以外のCO2削減には、われわれどうしてもおっくうになる。他人がみていない中、実感がともなわず、すぐに楽をしてしまうものだ。 

Img_9788  でも一つだけ目に見えるCO2削減の方法がある。木を植える。育てるということだ。木の幹そのものが炭素のかたまりだ。木の質量そのものが炭素だ。そこで浅はかに考える。世界中の植えられるところに、木を植えたら、多くのCO2を削減できるのではないかと。 

Img_9767 ミシガン大学生との交流

 でも、それだけでは足りないという。人間は、過去、植物が何千年とかけて地中にためた二酸化炭素を短期間で、空気中に排出しているから、木を植えるだけでは間に合わないという。ということは、地中から掘り出すことをやめるしかなくなる。でもすると今の経済活動が成り立たなくなる。そうなると、利害の関係になり、政治の話になり、とても簡単に収拾がつく話にはならないこと。そのことを声高に言い続けても、現実的には。

Img_9824  そこでまた思う。やはり自分できることは、木を植え、育てることではないかと。そしてもっともっと地球のしくみ自然のしくみに好奇心をもって学んでいくことではないかと。それをデータをとって示していくことを地道にやっていくしか道はないのではないか。自分は幸いにも、森びとプロジェクト委員会に所属し、足尾、南相馬という場で、木を植える機会がある。また、多くの自然を愛する同志がいる。ハンス・ロスリングの著書「ファクトフルネス」に書かれてあったが、地球温暖化の問題とは長期の問題である。目の引くニュースを手当たり次第に温暖化と結び付け、危機感を煽ろうとするのは、あまり好ましいやり方ではない。その代わりに、科学的に基づくもの、証拠に基づいた主張をすることが大切だ。つまり自然に謙虚に学び、地道に木を植え続け、それを目に見えるかたち=森にしていくという、自分にできることはそれであり、そうしていきたい。(事務局 宮原哲也)

 

2019年7月15日 (月)

「杜」という森に込められた想いを胸に森づくり

1 間もなく見られる中倉山の青空

  今から約400年前の伊達政宗は家臣たちに、「屋敷内には飢餓に備えて、栗・梅・柿などの実のなる木や竹を、また、隣との境に杉を植えるように」奨めました。こうしてできた屋敷林と、お寺や神社の林、そして広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となって仙台は、まち全体が緑に包まれまと言います。この「まち全体が緑に包まれる姿」は、明治42年には、「森の都」として仙台の観光案内書に記されています。また、昭和に入って間もない頃には、「杜の都」と表されるようになり、この姿は昭和20年の仙台空襲前まで残っていました。

Photo 足尾「臼沢の森」

「杜の都」の「杜」は、そのまちに暮らす人々が協力し合い、長い年月をかけて育ててきた豊かな緑と暮らす人々の森への願いが込められていることを意味するのではないかと思っています。そこには、「神社や寺、屋敷を囲んでいる『緑』、人々がていねいに手入れをしてきた『緑』が仙台の宝」という市民の想いが込められているように見えます。  

Photo_2  私が、森びとで足尾の草地や荒廃地に植樹して感じていることは、先輩方がよく口にする言葉でもありますが、「人間の都合で木は育たない」ということです。

 今年の梅雨の様に晴れ間が少ない時には“雨が降って植物には良い”と油断していると、昨年植えた幼木は草との競争に負けて、太陽のエネルギーをもらえなくなってしまい、幼木が衰弱する状態にしてしまいます。また、ポットで育てている幼木のポットの底では草の根が充満して、幼木の根を衰弱させてしまいます。仕事の合間に植林ボランティアしている筆者としては、どうしても自分の都合の合間に森づくり活動しなくてはなりません。リタイヤした先輩たちは「俺たちは“サンデー毎日”だ」と言っていますが、足尾の森を観ていると、木々は先輩たちの育樹活動に応えて生長しています。

Photo_3  私たちが育てている森の中には「民集の杜」という一角があります。多分、この名前は先輩たちの色々な想いが込められているのだと思っています。森は、私たちの暮らしで欠かすとのできない役割をもっています。月一回の森作業になっている私ですが、森の大切さを感じる大切な日であります。(事務局 福澤 猛)

2019年7月 3日 (水)

 国連「気候サミット」では「2050年実質排出ゼロ」の国際合意を!

Photo_4             クマシデ

 筆者の記憶に残る大雨災害は2015年から毎年続いている。昨年の西日本豪雨では、関西空港が閉鎖され、船が橋梁にぶつかって道路がストップした報道を観て、自然界の猛威の恐ろしさは計り知れないこと、どんなに強靭な技術力でも自然界の猛威には勝てない事、人間はその猛威が静まるのを待つしかなく、この自然と寄り添って生きていかなくてはならない存在であることを実感した。

Photo_5  6月11日、安倍総理大臣(内閣府)に届けた「地球温暖化にブレーキをかける要望書」。この要望書の賛否を衆参国会議員にも求めました。「賛同する」、「賛同しない」、「どちらでもない」等で応えてもらいました。現在(7/3)、立憲民主党本部、自由民主党、立憲民主党、共産党、社会民主党、国民民主党、無所属の国会議員から「賛同」、「どちらでもない」のご意見が事務所に届いています。ご意見を寄せていただきました政党、国会議員の皆様、ありがとうございました。

Photo_6  現在、ご意見は集約中です。今後は、この要望書への賛同署名を多くの方々に求め、その署名とご意見を9月開催予定の国連「気候サミット」へ届けたいと考えています。

Photo_7  万人の共有地、有限な自然資本である地球。この共有財産は誰のものでもありません。各国首脳は、“地球人の恩送り事業”としての“2050年には実質排出ゼロ”の国際条約を締結してほしい。

2  “文明の岐路”に立っている私たちの義務として、世界各国の森と海を元気に!鉄やセメントの代わりに木材の利用とその応援を!路地や空き地に、草地に木を植える!森と生きる暮らし方の創造と実践!・・etc。(理事 髙橋佳夫)