何事も現実に向き合ってやり抜くことは大変ダー!
いのちを守るということは守ろうとしているその人の現実に向き合わないと単なるスローガンで終わってしまう気がしている。
物忘れが多くなった両親のいのちを守るということは、一緒に暮らしてみると大変なことであると分かった。何度も同じ話に付き合う、何度もトイレの場所を案内する、階段を上り下りする度にフォローする、風呂は一緒に入らないと背中も流せない等々とぶつかったが、いつものように暮らしている両親と向き合ってみると、少しでも傍にいることが一番の長生きの素である気がした。
いのちの源である森と生きるということは、森に生かされている生物のひとつである人間が森の恵みを独り占めにしないことであり、使い果たしてはならないということである。
そこには“我慢”が内包され、独り占めにして使い果たそうとしている勢力に警告を発しなければならない。
前回に紹介したメジロの巣から親が立ち去ったようだ。一週間後に巣を覗いて見ると卵がひとつだけ残っていたが、次の日にはその卵もなかった。森の有り難さを独り占めしようとした私の行為がそうさせたのかもしれない。これを見た私は、“いい写真が撮れた”という自慢みたいなことを“我慢”できなかったことを恥じる。“森と生きる”ということは、メジロに負担を与えない方法で写真を撮ればよかったと反省している。
地震や津波からいのちを守るためには“逃げる”ということが一番であることを3・11で学んだ。未来を生きるいのちを守るためには津波に遭っても“親と一緒に逃げる”時間を稼いでくれる森が自然の恵みだ。森の防災堤づくり応援も東日本大震災で犠牲になった皆さんの現実に立ってスローガン倒れにならないようにしたい。
原発再稼働を認めようとしている民主党・野田代表も原発事故で避難生活を強いられている県民の現実に立っていないし、高齢化社会で介護生活をしている多くの国民の現実に立たないと民主党の社会保障制度も自民党に流されてスローガン倒れになってしまう。エゾハルゼミの合唱にもメッセージがあるのかもしれない。野イチゴが間もなく美味しい恵みをくれる。(OWL)
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