床上浸水救援で描く“森と寄り添う暮らし”
春夏秋冬の移り変わりが極端になっている感じがするこの頃。先人から教えられた暮らしのヒントも今の暮らしには通用しない様に思える。
先月、義理の妹からメールが妻のもとに届いた。内容は台風と大雨の被害にあい、一階の畳が水に浮いている、というSOSであった。テレビニュースを観ていると、いわき全域が夏井川の氾濫で床上浸水の被害をうけていたことがわかった。
これまで他人事のように思っていた自然災害が身近で起こった。即、現地に行って手伝うことにした。救援は2回行ったが、畳や家電、泥だしの大変さが身に沁みて分かった。さらに、共助の心や地域コミュニティとの相談の大切さを教えられた。
台風19号から一か月が過ぎ、国や市町村のあらゆる行政で「検証」が行われてはいるが、私は「人災ではないか」と思っている。私も含めて、想定外の異常気象の猛威とその被害を何の根拠もなく、「なんとかなるさ」と思っていたしっぺ返しではないかと思っている。
私が応援している南相馬市の「鎮魂復興市民植樹祭」の森は、木々が津波のスピードを緩めてくれる。戻ってくる津波に流されてくる人や動物等を木々が沖に流されないようにしてくれる。森の防潮堤は人と森が寄り添って生きる環境をつくってくれる。「なんとかなるさ」と何の根拠もないことで想定外の異常気象の猛威に向き合ってはならないとつくづく思う。義理の妹の床上浸水被害を救援する体験では異常気象と向き合う心(概念)が洗われた気がする。
今、多くの人々が想定外の異常気象の猛威を体験しているのであるから、その体験から“森と生きる社会(暮らし)”を、そのための社会運動(行動と議論)を積み上げていくことが大事だと感じている。行政や政治家に丸投げするのではなく、行政や政治を動かす社会運動のひとつとして応援隊の活動をこれからも続けたい。
経験した事のない自然の猛威に向き合うのだから失敗はつきものだと思う。自然の力を敵とするのでなく、まずは自然界の力を受け入れ、自然の恵みに感謝していきたい。“いなす”という言葉を思い出したので、今後の活動のヒントにしていければと思う。(事務局員 東城敏男)
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