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2012年4月

2012年4月21日 (土)

森づくりはインフラのインフラ

 先日、宮脇昭さんの本「「森の長城」が日本を救う」を読みました。また、国際生態学センターのフォーラムにて宮脇昭さん講演を聞きました。そこから自分なりに考え、森はわれわれの生活を支えるインフラのインフラではないかという思いに至りました。

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 宮脇さんは、いのちの大切さを訴えます。また、小手先の対処だけでなく、本質の対策が必要であること、森づくりは私たちのいのちを守るための、遺伝子を未来につなげるために必要であることを。

 講演で、宮脇さんがそのことを語るとき、自分の心の底に響き、胸が熱くなるものがあります。それは本質であり、人間の根底にあるものだからでしょうか。そのことをまったく異論を唱える人はいないと思います。

 だけど、いざ行う、大きな事業として行政をからめて行うというと、なかなかうまく進まないようです。それはなぜでしょうか。よく総論賛成、各論反対というのがあり、この件も多くの人がからむとそれぞれの利害関係があってなかなか進まないのかもしれません。また、あまりにも本質すぎて、目先の利益がなく、各自がそのメリットを実感できない点もあるのかもしれません。宮脇さんはそのことを承知の上でトップに訴えかけます。トップがしっかりすれば、トップが仕組みをつくれば皆はそれに向かうということです。

私自身、森びとと称し、森が大好きな一市民として自分なりに考えまして、うまく進まない理由の一つに、森づくりに対する皆の認識がばらばら、つまりその位置づけが皆で共通認識・価値がないことにもあるのではないかと思っています。

森に興味を持ち、勉強していって初めて理解していったことでもありますが、自然災害も多い日本列島において、森はわたしたちを守る一方、豊かな恵みをもたらします。つまり、生活を支えるベースになるものであります。感じるのは、我々は既にそのことを日常の便利な生活の中で忘れているのではないかということです。生活のベース、つまりインフラというと、水道、ガス、電気であり、道路などをいいます。インフラの公共事業というとそれらの整備になり、それらはわれわれの生活を支える大切なインフラであるという共通認識があります。

それに対して森は、さらにそれを支えるインフラ、いうなればインフラのインフラといえます。

 しかし、多様な価値観の現代において、森の位置づけが、水道、ガス、電気などのインフラ同等であったり、それよりもただ人の趣味のうちの一つと思われていたりと、バラバラなのが現状だといえます。

本来の森の位置づけは次のようになるではないかと思っています。

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それが今、森に対する認識は次のようなところにあるのではないのでしょうか。

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 皆、電気、水道、ガスがインフラであり、なくてはならないことを認識し、月々をその費用を支払いします。電気をどうやってつくるかは議論になっても、必要か必要でないかの議論にはならないです。森は、その電気、水道、ガスを生み出すために必要なこと、その土台にあるのです。ですから森は、電気やガスのインフラ以上に、なくてはならない性質ものものです。公共事業の一番基本にくるものともいえます。そのことは、森に興味をもっている自分のような者だけでなく、皆が共通して認識する必要がある点であると思います。

 そのことを実感として知るのは、災害のときだけではいけません。そこで尊いいのちを失ってから気づくのでは遅すぎます。ここは、皆の共通認識として、災害が起こる前に植え付けたいです。そこが、宮脇昭さんが訴える点でもあります。

 そのためには、日ごろからの皆の意識の持ち方が必要です。森は、インフラ中のインフラであるということを。これは、あまりに本質すぎて、浸透させるのは、むずかしいかもしれません。なにせインフラのインフラというとあって当たり前のさらにあたり前というものだからです。

 小生は、それは子どものころからの教育にその希みがあると考えています。今回、林野庁、環境省などに働きかけ、公共事業として森づくりをやるよう訴えかけています。それはそれで行っていくべきでしょう。それと同時に、教育分野、官庁でいえば、文部科学省のところで、子どもの頃からその意識を植え付けることが必要かと思います。つまり義務教育にくみいれることです。われわれこうして高度な社会が成り立つのも、皆が、ある一定の共通した知識であり、認識をもっているからです。それは、子どものころからの教育で身に付けてきたことでもあります。であるから、森づくりについて、それはわれわれのインフラのインフラであること小さいときから認識を持ちたいです。そして森づくりは、他人ごとでない、自分たちのこと、一番根底にある大切な「いのち」のこととしてとらえられるようになればと考えています。

 そこで今回の震災はある意味でそれを実感するいい機会であります。森びとがベースとしている足尾はそのことを示す格好の材料であります

小生、小学生と保育園児の2人の子どもをもつ父として、自分にできるところはその辺かなと考え、行動していきたいと思っています。

(哲也)

2012年4月14日 (土)

公園は自然の教科書で溢れている

 4月10日、神奈川県ファンクラブはメンバー5人で鎌倉中央公園にて旧炭焼き小屋の下に田んぼをつくるための約30平米を耕させてもらいました。この場所は子どもたちとサツマイモを作る教育の場となるそうです。この鎌倉中央公園はJR大船駅から20分ほどの場所にも関わらず、NPO山崎谷戸の会と鎌倉市が協働で保全活動を行っており、谷戸が残されている貴重な場所です。Dscf0110Dscf0104_2
 今回は、事務局の田村さんに指導をいただきました。田村さんの小学校2年生の娘さんも母親と一緒にここを訪れるそうです。掘り起こした土の中からミミズが数匹出たので、どういう反応を示すかなぁとミミズを見せると平然とミミズを手に乗せて目を輝かせていました。

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 この日は学校が午前中のためか、鎌倉中央公園を小学生が多く訪れていました。裸で駆け回る男の子や下駄を履いて遊ぶ男の子、急な斜面を登る女の子たちなど生き生きとした逞しい姿がそこにありました。

 残念ながら福島県の子供たちは放射能の影響により、外で遊ぶことはできません。子供たちの笑顔を奪ってしまったのは私たち大人の責任です。3・11で安全に「絶対」はないことが証明されました。子供たちの未来のためにも「原発はNO!」とさらに声を上げていくぞ!!

2012年4月13日 (金)

土壌動物が放射能汚染されると大変なことになるよ!

P4112634  ミミズやダンゴムシが活発に動き出す季節になってきた。これら土壌分解動物が落ち葉や動物、昆虫の死体等を食べてくれる。ところがこの落ち葉や死体等に放射性物質が付着しているとミミズ等の体内にそれが入ってしまうらしい。このミミズ等を餌とするイノシシ、モグラそして鳥類の体内にも放射性物質が入ってしまう気がする。イノシシやモグラの縄張りは狭いが、鳥類は何千㌔に移動してしまう。ツバメが飛来し、夏鳥も間もなくやってくる。

 1986年に起きたチェルノブイリ原発事故から26年経つが、チェルノブイリからはるか200㎞離れた英国(セラフィールド)ではセシウムが大地に染みこみ、牧草を介して羊の体内にそれが取り込まれているという。(『毎日新聞』4/8)

 韓国では脱原発を掲げる「緑の党」が結党され、総選挙に候補者を擁立した。民主党内でもやっと前首相・菅さんが脱原発で動き出した。私たち大人の選択が未来を生きる若者や子どもたちの幸せを左右する。花見もほどほどにして「千年後の未来」に舵をきって走りだす時期がそこまで来ている気がする。(OWL)

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