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2016年8月

2016年8月27日 (土)

心を清めてくれた金峰山の森

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 夏休みを利用し、山梨県と長野県の境にある金峰山(きんぷさん)へ登ってきた。この山は日本百名山の一つであり、筆者の両親の実家である甲州の人にとって昔から北鎮として崇拝され、多くの修験者が登拝した信仰の山でもある。(写真上:頂上の五丈岩)

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 今回は、その同じ田舎とする従兄弟と登山をした。ルートは西側の瑞牆山荘を起点としたルートで、最初は標高1.500mのところからはじまり、山頂では2.699mになる。標高差1.000m以上もあることから、標高に応じた森のタイプがみられるのが特徴でもある。(写真上:ミズナラと針葉樹)

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 山頂まで、ずっと登りで、頂上まで約3時間半かかった。途中、標高に応じた森がみられ、稜線にでると視界が開けすばらしい景色をみることができ、森に興味ある筆者としては、飽きることなく楽しめて登れた。(写真上:シャクナゲ)

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 また、同時に、山頂に鎮座している五丈石を拝み、この岩がある金峰山が、昔から筆者の両親の田舎の甲州人たちの信仰の対象として、拝まれていたことを実感する。思わず手を合わせ合掌する。心を清められた思いでもあった。(写真上:ハイマツ)

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 山を登ることは、今、レジャーであり、リクリエーションであるが、同時に、登山は、お参りし、心を清めることであることを感じた。昔から山は信仰の対象であり、山を拝み、山がうみだす恵みをいただきつつ、山とともに生きてきたのである。今回の登山は、お盆の時期と重なっていたこともあり、先祖のことを思い、そんなことを感じた。今後、山・森を知ると同時に、山の信仰についてより知識を深めたいと思った。(写真上:頂上を望む)

(事務局 宮原哲也)

2016年8月 1日 (月)

つちをつくることを考える

今全盛のトウヒの森は、
自ら不都合な土壌をつくりあげながら、
次の森の時代を
ゆっくりとツガに明け渡そうとしているのである。
振り返れば、それは遥かな昔、
ハンノキがトウヒにしてあげたことなのだ。
いつの日か南東アラスカがツガに覆われる時、
森の一生はクライマックスを迎えることになる。

星野道夫「森に還る日」より

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知り合いの喫茶店のマスターから、最近のアルバイトはエプロンを結べない子が多いと聞いた。靴紐は結べるんでしょ、と言うとそれはできるらしい。要はやったことがない、というだけのことのようだ。

少し驚いたのだけれど、よく考えると僕らだっておじいちゃん・おばあちゃんの時代に普通だったことで、できないこと・知らないことは多い。特に自然に関することなどは、断絶と言っても良いぐらいの隔たりがある。ただそれも結局は触れる時間が極めて少ない、というところから来ているように思う。

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自然と触れるということでは、学生時代から20年以上、仲間と山奥でキャンプをするという行事を続けてきた。近況を語りながら飲む、ということが大方の目的なのだけれど、ここ数年、メンバーのJr.も参加するようになった。

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その子どもたち、最初は圧倒的な自然に戸惑っているけれど、あっという間に楽しみを覚え、2度目ともなるともうベテランの風を醸し出す。子どもの適応力は驚異的で、それによく覚えている。自然に触れる、というのはそれだけで十分に意味深いことなのだと気付かされた。

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あいも変わらず大人たちは忙しすぎて、子どもたちに自然のことは何一つ教えられないのだけれど(それはそれで問題があるのだが)、せめて、今ある木々や森や山を、そのままで良いから残したいと切に願うキャンプだった。

森の木々のように、次の世代に”土”を残せているか。人としてどういう土を作っていくか。森づくりに携わりながら、森と生きる知恵を何一つ持ちあわせていない自分を省みて、自然との有り様をいま一度深く考えてみようと思う良い機会となった。(事務局 小黒 伸也)