つちをつくることを考える
今全盛のトウヒの森は、
自ら不都合な土壌をつくりあげながら、
次の森の時代を
ゆっくりとツガに明け渡そうとしているのである。
振り返れば、それは遥かな昔、
ハンノキがトウヒにしてあげたことなのだ。
いつの日か南東アラスカがツガに覆われる時、
森の一生はクライマックスを迎えることになる。
星野道夫「森に還る日」より
知り合いの喫茶店のマスターから、最近のアルバイトはエプロンを結べない子が多いと聞いた。靴紐は結べるんでしょ、と言うとそれはできるらしい。要はやったことがない、というだけのことのようだ。
少し驚いたのだけれど、よく考えると僕らだっておじいちゃん・おばあちゃんの時代に普通だったことで、できないこと・知らないことは多い。特に自然に関することなどは、断絶と言っても良いぐらいの隔たりがある。ただそれも結局は触れる時間が極めて少ない、というところから来ているように思う。
自然と触れるということでは、学生時代から20年以上、仲間と山奥でキャンプをするという行事を続けてきた。近況を語りながら飲む、ということが大方の目的なのだけれど、ここ数年、メンバーのJr.も参加するようになった。
その子どもたち、最初は圧倒的な自然に戸惑っているけれど、あっという間に楽しみを覚え、2度目ともなるともうベテランの風を醸し出す。子どもの適応力は驚異的で、それによく覚えている。自然に触れる、というのはそれだけで十分に意味深いことなのだと気付かされた。
あいも変わらず大人たちは忙しすぎて、子どもたちに自然のことは何一つ教えられないのだけれど(それはそれで問題があるのだが)、せめて、今ある木々や森や山を、そのままで良いから残したいと切に願うキャンプだった。
森の木々のように、次の世代に”土”を残せているか。人としてどういう土を作っていくか。森づくりに携わりながら、森と生きる知恵を何一つ持ちあわせていない自分を省みて、自然との有り様をいま一度深く考えてみようと思う良い機会となった。(事務局 小黒 伸也)
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