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2020年1月

2020年1月19日 (日)

自然を大切に(^▽^)

縁があって都会に住んでいる。いなか暮らしをしたいと言いつつ、ついつい惰性で離れられずにいる。

今借りている住まいは都内で唯一の渓谷が近くにある静かな住宅街。近くには400年続くという大きな農家や市民農園もあって比較的自然が残っているイメージのある場所だ。

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とはいえ本来の自然はほとんどなくて、そのうえ年々、街から自然が減っていくのを感じている。

昨秋、使われなくなった教会の前にきれいなリンドウが咲いていたのだけれど、気が付くと建物は取り壊されて、その場所はあっという間に舗装されてしまっていた。もうここに植物たちが根付く隙間はないようだった。

数百年はあろうかという大木が生えた屋敷林が、あっという間に切り倒されてエコを謳ったマンションになるということもしばしばある(日本一の空家数を誇っている区なのだけれど、それでもまだマンションを作り続けるというのはどうなんだろう)。

地球にやさしいとかエコとか言うけれど、そもそも人はもう作りすぎだし(自然にあるものを)壊しすぎなのだと思う。その根っこがどこにあるのか、そしてそれをどう変えていけるのか。今年はまず自分の身の回りから、ひとつひとつ点検していこうと思う(事務局 小黒)

2020年1月 1日 (水)

森づくり運動の第二ステージの幕開け

 昨年亡くなった中村哲さんが操縦する重機音が気流に乗ってアフガンから足尾・松木沢に届いてくれないかと願っている。

12 雪の「森びと広場」

 生前、中村さんは宮脇昭先生に会って、堰の両岸に植える樹種を訊ねられたという話を宮脇先生から聞いた。宮脇先生は、砂漠になる前に生えていたふるさとの木を植えて下さいと応え、中村哲さんはヤナギを堰の両岸に植えている、という話を記憶している。

Photo_11 2013年「読売新聞」

 その風景が下の写真である。砂漠となった地に水を引き、地元民が農作業にいそしむことが農民の糧となり、身体と心の病に悩まされることが少なくなった地元の人々。穏やかな暮らしからは争い事を冷静に考えられる。堰を造っている地元の人々の顔からはそんな様子がうかがえる。

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3 ”医療支援だけでは平和は訪れないことを現地活動から学んだ”というようなことを生前の中村さんが言っていたように思う。平和な暮らしを求めてそれを実現するのはその地元の人々だ。空気を吸っているだけでは平和な暮らしは絵に描いた餅になってしまう。まずは、食べられることができ、平和な暮らしを描く学習もできる環境をつくらなければならないと考えたのかもしれない。堰造りと農業そして学校建設もすすめていた中村さんから、そのようなことが中村さんの志の柱ではないか。

201605  私たちの健康(衣食住)が保たれているのは生態系豊かな大地(森・生物社会)の命を営む循環が元気であるからだと思う。中村さんは、地球温暖化にも警鐘を鳴らしていた。重機を操縦している中村さんの表情からは、たくさんの元気がいただける。シニアの森づくり運動の第2ステージの幕開けは、多くの先人が遺した志を裏切らない森づくりの現役としての終活だ。意思なきところに道はひらけない。合掌。(理事 髙橋佳夫)