里の生きものから養い育てられた豊かな感性
住んでいる近くの里山を歩いていると、小さい時の体験や風景が頭をよぎることがある。低地に田畑が広がり、丘陵に二次林があって同じ風景なのだけれども、何か違和感がある。 それで一生懸命思い出してみると、小さいころは虫取り、魚取りが中心の日常があった。裏の防火用水で釣りをするとクチボソ、マブナなどが釣れ、水面近くをミズカマキリが泳いでいく。汚れた川にはユスリカの幼虫、アカムシと呼んで釣ってきた魚の餌にしていた。小さな山の麓には湧水があってアカハライモリがたくさん棲んでいた。そこにいろいろなトンボが卵を産みに来ていた。夏休みは猪苗代湖の湖畔に行き、オイカワ、モロコ、タナゴ、ドジョウ、ナマズ、スジエビなどを網ですくった。カブトムシやトノサマバッタ、オケラは捕まえられたが、タガメ、タイコウチ、コオイムシなどは気持ちの悪い存在であった。オケラは学校帰りの田んぼに普通にいて、「〇〇ちゃんのはどのくらい?」と聞くと、捕まえられたオケラは、手のような前足を広げて教えてくれた。初夏のカエルの大合唱と水田一面のヘイケボタルの乱舞、ヒグラシは夏休みの終わりを告げる寂しい鳴き声であった。 あの頃は生き物の登場で季節を感じていたように思える。もちろん、ワクワクドキドキ感は色々な感性と空想を僕に与えてくれた。それを感じられる歳ではもうないが、仲間がいなくなってしまった寂しさを違和感として感じられたのだと思う。あのワクワクドキドキ感を今の子供たちにも味わって欲しい。便利な世の中の代償として失ったものは大きいと痛感している。(代表 中村幸人)
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