私と森をつなぐ40のアクションにLet’s try!
3月26日に開催された森びとプロジェクト主催の「脱炭素社会の課題を考える3.26シンポジウム」では、林野庁「森林×SDGsプロジェクト」メンバーの皆さんからコンセプトブック「私たちと森のこれから~幸せな未来に向けた5つのアクション~」を作成した思いが紹介されました。「私たちの暮らしが、森や木と関わったら、もっと幸せになれるのではないか」というメンバーの願いが込められていました。
Let’s try! 「私と森をつなぐ40のアクション」として、“森を知る・学ぶ”、“森の恵みを楽しむ”、“森や木に触れる”ための具体的な行動を起こすヒントが示され、いくつかの項目にチェックを入れてみました。
私の住む下野市(旧国分寺町)に「天平の丘公園」があり、昔、下野国分尼寺(奈良時代)があった場所で、歴史的な史跡の保存と市民が集う場所として桜が植えられ、4月から5月のGW頃まで花まつりが開催され、特に大輪の八重桜が見事で多くの市民が花を愛でに訪れます。
桜の開花も伝えられたことから、チェックした「森と人の生業や文化との関係を知る。」「近くの公園で木を見る。名前を知る。」「森の中で五感を使って自然を感じて楽しむ。」ために、ぶらりと公園へ散策に出かけました。
新型コロナウイルス感染拡大により“天平の花まつり”が今年も中止(3年目)となってしまいましたが、ソメイヨシノや淡墨桜は見ごろとなっています。八重桜の蕾はまだ固いですが開花を待つ準備をしています。
白色、薄い桃色、淡い桃色、紅い色など様々な彩りの花が私たちの目を楽しませてくれます。古民家の庭先にはロウバイ、梅、桜が植えられ、3月上旬から花が咲き、小さな子供を連れた家族が花見を楽しんでいました。
5分咲きの桜の木の下に、由来を記した看板があり、読んでビックリしました。20年以上前に故角岸幸三さん(元NPO法人森びと副理事長)に案内していただいた盛岡裁判所の庭に咲く「石割桜」(シロヒガン)の子孫が、“雪子”・“霜子”と名付けられ、平成8年にこの地に移植されていました。岩の間から太い幹と大きな枝を伸ばし、枝先まで花を咲かせていました。
ハクモクレンも真っ白い花が満開です。2011年3月11日に発生した東日本大震災後に被災地へのボランティア活動に参加した市民が、震災を忘れない祈念樹として植えられたことを知りました。筆者も昨年10月に開催された第9回南相馬市鎮魂復興市民植樹祭に参加し、いのちを守る防潮堤に苗木を植えました。まもなく震災発生から11年です。温暖化によって引き起こされる自然災害は場所を問いません。市民の皆さんの絆に胸が熱くなりました。
南側には森が広がり、林内に入るとコナラを中心にヤマザクラ、シラカシ、スギ、ヒノキ、シデが空に向かって枝を伸びていました。樹高が12m~15mほどに生長しています。園路が整備され、林床には落ち葉が積もりコナラやシラカシのドングリがたくさん落ちています。中には根を地面に伸ばしている実もありました。
森の中央付近には6世紀後半に築造された帆立貝形前方後円墳「オトカ塚古墳」が保存されていました。1500年以上前から営々と受け継がれ、森に寄り添って生きてきた人々の暮らしの跡が、こんな身近な所にあったことにも驚きました。筆者の身近にある歴史・森へのアクションへいざなって下さった「森林×SDGsプロジェクトメンバー」の皆さん、ありがとうございました。
国立環境研究所の江守正多さんは、温室効果ガス(CO₂)を排出し続ければ地球全体のシステムを調整する機能の臨界点(ティッピングポイント)を超えてしまい、深刻な被害が私たちの暮らしを脅かすことを伝えています。
『「脱炭素社会」はしぶしぶ努力して達成できる目標ではない。社会の「大転換」が起きる必要がある。』と、人々の世界観の変化が求められていることが話されました。「石器時代が終わったのは、石が無くなったからではない」という元サウジアラビア石油相の言葉を紹介し、『人類は「化石燃料文明」を今世紀中に卒業しようとしている』と、私たち一人一人がCO₂を出さないのが当たり前の社会を目指して、地球全体のシステムを調整する機能(北極、南極、海洋巡回、大規模森林など)を高めていかなければならないことを教えてくれました。
温室効果ガスの吸収源である森と海を元気にするために、私たち森びとは1億本植樹の国民運動をサポートしていきます。
(運営委員会副代表 清水 卓)
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