« “旬の香りと味”は身体の機能を維持させる宝物? | メイン | 屋久島・鎮守の森植樹祭に参加して来ました »

2013年4月15日 (月)

中村哲さんと連帯して、いのちを守る森の防災林をつくる

 

Photo_15


 『ペシャワール会報』4月号が届いた。9・11後2001年10月、米国によるアフガン戦争という長い戦乱のなかで治安の悪化、さらに干ばつによる農地の砂漠化等によって多くの難民が発生していたアフガニスタン。

 

 この地でアフガン難民を治療し、「飢えと渇きは薬では治せない」とカレーズ(井戸)を堀り、その上飲料水だけでは農村の回復は不可能として2003年から農業用水路建設に取り組んできた中村哲さん。

1


 

・・砂漠を緑地・農地にした写真を見てください・・

 

4


5


 それから10年、マルワリード・カシコート連続堰がこの春、完成する予定だという。完成すれば16500㌶の農地が確保され、推定65万人の暮らしが維持されると言います。カシコート取水門と主幹水路は、なんと日本の堰と堤防工法によって造られたと言います。堰は山田堰(福岡県朝倉市)の工法が踏襲され、堤防は植樹帯堤防というものでした。

 

 「護岸」ということに関して会報には、「壁を高くすれば済むことでなく、人の安全を確保するのだから、万一浸水があっても最低限の犠牲で済むように努力が払われました。先ずは危険な場所を遊水池として耕作だけを許し、人が住まない。強力な護岸といえども過信せぬことを徹底した、といいます。技術的には、洪水の抜け道を大きく取って堰き上がりをたいてい現に抑え、予想を超える水位に対しては力ずくで守らず、越流を許しました。洪水侵入部に長さ200㍍にわたり、堤防というよりは長い小山を築き、河の表法にヤナギ、裏法にユーカリの樹林帯を造成しました。何れも根が深くて水になじみ、激流でもさらわれることがありません。万一洪水が来ても、流水が林をくぐる間に速度が落ち、破壊力を減らすことができます。」と書いてありました。

 

 そして中村さんは、「自然を制御できると思うのは錯覚であり、破局への道です。ただ与えられた恩恵に浴すべく、人の分限を見極めることです。最近の日本の世相を見るにつけ、ますます自然から遠ざかっているように想えてなりません。足りないのは、敵意を煽る寸土の領有や目先のカネ回りではありません。自然に対する謙虚さと祈り、先人たちが営々と汗で築いた国土への愛惜、そこに息づく多様な声明との共存です。」と、述べています。

 

 会報に載っている中村さんの写真顔とこのメッセージを拝読すると、元気を貯えることができました。アフガン現地で支援してきた当時を想い出し、原発に頼らない森と生きる理想郷を描いて、その実現に向けた決意を遠く離れている中村哲さんに送ります。(OWL)

 

 

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/330076/31408467

中村哲さんと連帯して、いのちを守る森の防災林をつくるを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿