梅雨の森の中で、自然と人間の営みを考えたい
案内文や挨拶文を書く機会が多くなって、文の書き出しで「立春の候、立夏の候・・・」と書く。2月に挨拶文を書いていると、「立春の候・・」に関して先輩と話す機会があった。「立春の候、立夏の候」とは、言うまでもなく暦の上で「しだいに春、夏めいてくるころ」を意味しているが、現実的には、梅や桜の開花も例年早くなり、足尾では1週間も早く桜が満開となった。立夏を迎えた5月は各地で真夏日が観測され、夏本番の天気だ。21日の植樹祭で植えた苗木が気にかかる。
先輩との話は、「○○の候・・」と書き出した案内文や挨拶文を受け取った方々には「夏めいてくるころ」という感じを受けないのでないか、ということだった。自然と人間の営みにも、何か、変化を感じた話であった。
ところで明日からは6月、梅雨の時季である。私はこの時季を好まない。16年前に右腕を骨折した箇所が疼くからである。外に出ても空は雨雲に覆われる日が多く、湿度も高いと気分も滅入る。その上、右腕の疼きが気になって仕方ない。気圧が下がり、血流が悪くなるために疼くらしい。
苗木にとっての梅雨は大歓迎だろう。雨の恵みを得て、荒廃地に根を張れる元気が湧いてくる時季だから。私も梅雨の時季を歓迎し、血流を良くする入浴やストレッチをすればよい、という気持ちに切り替えなければならない。
森には、生物多様性の保全、地球環境保全の他、癒しの場という機能を持ち合わせている。森の中では、人間以外の生き物たち社会で支え合い、私たち人間が生きていくことに欠かせない大切な役割をしている。雨が降る日が多い季節になるが、そういう時こそ外に出て、森から育まれている私たちの命の有難さを再認識したい。
心地よい汗をかいて、古傷と上手に付き合っていきたい。(事務局長 小林 敬)
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