人間の営みは四季の移り変わりがベースになっている?
北東北に住む私の暮らしの節目は四季の移り変わりで判断しているようなものです。この頃は、3月~4月になっても低温や大雪と吹雪などが襲ってくるので、そんな時は命をどのように守っていくのか、と言ったことを考えたりします。北東北に住む者にとっては大雪や寒風など冬将軍の動きに対しては、まずは暖房器具のチェック、冬用タイヤの交換等を済まし、冬将軍と向き合うほかありません。時には、冬将軍が長期間居座るので、その時は憂鬱になります。
と言っても春になり、森の樹木たちが芽吹くと雪原の白さに疲れた目が癒され、身体を活発にさせてくれます。若葉が眩しくなると緑の葉は生き物たちの餌になり、生き物たちに欠かせない酸素をも供給してくれます。秋になると葉や樹液を提供するレストランになり、美味しい果実をも食べさせてくれます。役目を終えた落ち葉や枯れ枝はミミズやササラダの餌になり、草木になくてはならない土を作ってくれる土壌分解動物たちの働きがあります。
経済や政治も人間の暮らしと同じように、四季の移り変わりと無関係にそのスケジュールはつくられていない気がします。古代インドのアショーカ王は戦争にあけくれた経験の後に、国民にひとり5本の木を植えさせ、この木は未来の世代が使えるように、自分たちで伐ってはならない、というお触れをだしていたそうです。5本の木とは、1本は食べものになるマンゴーやりんごなどの果樹、1本は木材となる木、1本は薬効のある木、1本は花を咲かせる木、最後の1本は燃料になる木でした。多分、この王は人々の心に、未来の世代を思う種をまいていたのだと思います。
この話を聞いて「なるほど!」と思い、森びとの“山と心に木を植える”という合言葉の意味をもつと広めなくてはならないと思っています。(事務局・鎌田 恒)
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