森に寄り添って生きてきた先人の暮らしが「新しい日常」の素
明後日からビニール袋が有料になる。有料でなく使用禁止にしてくれることを願う。私もバックをザックに入れて持ち歩いている。店の袋は新聞紙で作った袋でもよいと思う。半世紀前はそんな生活様式が普通であった。夏休みの暑い日は、インスタントコーヒーに牛乳を混ぜた冷たいコーヒー牛乳を飲めたことが嬉しかった。コップに小麦やビール麦の空洞の茎を刺し、それをストローとしてコーヒー牛乳を飲んでいたことも普通の生活であった。
新聞紙はコウゾ、ミツマタ等の木々が原料、コーヒーは木の実、牛の餌は草でその栄養が牛乳なる。元をただせばビニールも自然の恵み。ところがそれが食物連鎖の頂点に君臨する人間の命を脅かそうとしている現代社会。
サバクバッタがアフリカからパキスタン、その後はインドまで移動した。その被害で人間の命が縮まるかもしれない。人口13億人の中国はバッタがヒマラヤ山脈を越えてのツ作物が荒らされるのではないかと心配しているようだ。ウイルス、細菌、虫等の生きものに国境はない。この生きものたちは、人間の無限な貪欲システムに適応して、世界の市場経済を混乱させている。人類には、生活様式の見直しを迫っている。
マイナス68度を観測するシベリアで、先日、史上初の最高気温38.0度を観測した。永久凍土の上に建っていた発電所の燃料タンクが崩れた。アンバルヤナ川に汚染水2万㌧が流出した。原因は偏西風の蛇行で、気温を高くしたという。永久凍土の溶解はメタンや二酸化炭素を排出させ、地球温暖化を加速させる。同時に、ウイルスや細菌を目覚めさせ、バッタ等の生きものたち生息環境をも変えている。
こうした地球の悲鳴を聴こえないふりをしている時間はない。ブラジルの環境相は非公式な閣議で、メディアはコロナ関連のニュースがメインだ、このタイミングを利用して熱帯雨林の環境規制を簡素化すべきだ、と発言している(『毎日新聞』6/28)。
日本政府の「新しい日常」はコロナ対策に便乗した経済優先(「質の高い経済」)が本音らしい。面倒な行政窓口の手続きがデジタル化で簡素化されると有難いが、その核心は、運転免許証や健康保険所等が「マイナンバーカード」に集約することだという。市民の個人情報を丸ごと政府が管理し、デジタル化は職員たち雇用不安を生み、働き方改革(テレワーク等)は働く者たちの雇用不安を孕んでいる。
コロナ渦は小さくなって、静かな日常に戻るのかと思っていたらそうでもない。むしろ新型コロナウイルスが大好きな宿を世界各国に増やし、コロナ以前の経済活動に戻っている気がする。これでは「新しい日常」とは言えない。古い様式が新しく感じる社会が目の前にある。古新聞紙や手ぬぐいの再利用、メイドインジャパンの商品は大歓迎。先人の森に寄り添う暮らしの文化をブラッシュ・アップすると「新しい生活様式」が見えてきそうだ。(理事・高橋佳夫)
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