原発増設前提で走るEV車は本当に人に優しい?
吹雪の日は本や新聞を乱読して時間をつぶしている。新年早々気になることがある。世界各国で「脱炭素社会」へ向けた様々な技術競争が行われているが、その社会には人の生命が第一ということが置き去りにされている気がしてならない。 ウォークマンでビートルズ曲を愉しんだ私だが、その商品製造会社グループが電気自動車(EV車)を設立するという。その他にもアップル、グーグルも参入するのではないかと新聞報道されている。EV車は「脱炭素社会」のシンボルとして注目され、世界市場では「戦国時代」を迎えているという。 EV車はガソリン車よりも部品が少なく、製造技術的にも障壁が少ないという。モーターは電気で稼働し、二酸化炭素を排出しないので地球には優しい。しかし、例えば、日本の全乗車すべてをEV車に置き換えられると、モーターを動かす電気を賄うには100万㌔㍗原発が10基、50万㌔㍗火力発電が20基の増設が必要になるという。(経済産業省の試算) こうした中で、EU欧州委員会は、「原発には脱炭素社会へ移行する促進の役割がある」という考え方を加盟国へ提案した。各国の「脱炭素社会」は潮流には危険な考え方が潜んでいるようだ。 誰もが格差の無い、安心して生活できる平和な社会という理念は「脱炭素社会」像には見えない気がする。ビニールハウスで野菜・果物を生産している農家、軽油や重油を燃料とする漁船の行方を心配する漁漁師、エンジンよりも部品が少ないEV車であれば部品製造を担ってきた労働者の雇用が不安、AIが労働現場に浸透・拡大する中で雇用不安が止まらない学生などの気持ちを考えると、気が収まらない。 新年早々の私の気持ちは、ビートルズ曲やボブディラン曲をウォークマンで聴いていた当時の社会変革エネルギーを再び燃やすことはできないものか、だつた。レコードを聴いて、その作戦を練ってみる。(顧問 高橋佳夫)
コメント