気付いた人から声をあげるということ
先日、世界132カ国の政府が参加する「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」(IPBES)が「人類によって「動植物100万種が絶滅危機」にさらされている」という報告書を発表した。どうやら私たちは大量絶滅時代を生きているらしい。
生物はそれだけで独立して生きているものはなく、みなつながりを持って生きている、ということは、今ではほとんどの人が知っている事実だ。ある種の生き物が滅びると、当然その生き物に関係する生物にもしわ寄せがいく。滅びた生物が唯一の食べ物であれば一緒に滅ぶしかない。動植物の25%が絶滅する危険性があるというのだから、ほぼすべての種に影響があると考えて間違いないだろう。そしてそのつながりの中にもちろん私たちもいる。
それなのに、である。この衝撃的な事実が伝えられても、世界は相変わらず我利我利な話題で埋め尽くされていて、真剣にこの問題に立ち向かおうというリーダーも見当たらない。本当に、人類、大丈夫なんだろうか。と、自分事ながら他人事のようにつぶやいてしまう。
令和からさかのぼること数世代、明治の時代に石川啄木が書いた「林中の譚」の中で、彼は猿に次のような言葉を言わせている。
汝等はつねに森林を倒し、山を削り、河を埋めて、汝等の平坦なる道路を作らむとす。しかれどもその道は真と美の境―乃(すなわ)ち汝等の所謂(いわゆる)天に達するの道にあらずして、地獄の門に至るの道なるを知らざるか。汝等既に祖先を忘れ、自然に背(そむ)けり。噫(ああ)、人間ほど此(この)世に呪はるべきものはあらず。
(人間はいつの時代にも木を倒し、山を削り、川を埋めて、平らな道路を作って来た。だが、その道は天国に通ずる道ではなくて、地獄の門に行く道なのだ。人間はすでに祖先を忘れ、自然にそむいている。ああ、人間ほどこの世にのろわれるものはないだろう。 現代語訳「サルと人と森」から)
あの時代から私たちはさらにその道をまっすぐに歩んできたように思える。変わったことといえば、100万種もの動植物を滅ぼすだろうという事実を明確に予測できるようになった、くらいなのかもしれない。
先の報告書を伝える記事では、抜本的なライフスタイルの変革が求められているとして、いくつかの提案が書かれていた。突き詰めると結局のところ、ひとりひとりがもっともっと自然と生活と自分を大切に、丁寧に生きていく。ちゃんとした政治家を選ぶ、ということらしい。そうして大きなうねりをつくって新しい世界を開くしかないようだ。
翻って自分、こんな文章を書いている自分はいったいどうなのか。人に指摘できるほどの生活をしているのか。できることすらしていないのではないか。滅び行く多くの生き物から鋭く問われている、そんな居心地の悪さを感じさせる今回の記事であった。気候変動はもちろんだが、森をはじめとする生命基盤への保全についてもよく学びそして気付いたことに声をあげていかねばならない(事務局 小黒 伸也)。
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