宮脇先生、天空の森から応援してください。いのちを守る本物の森づくりを!
「一番困難な場所で森がつくれれば、世界のどこでも森がつくれる!」2004年9月、足尾銅山跡地に立った宮脇昭先生は、草の生い茂った松木村跡の土を掘り、手に取って匂いを嗅ぎました。
「地球温暖化にブレーキをかけるために、温室効果ガスの吸収源となる森をつくる」という「森びと」の調査に同行させていただいた私に「土の匂いがするか。匂いを嗅いで、舐めてみなさい」と言われ、茶色い砂の多い土壌からは、ミミズなど土壌動物が分解したあとの腐葉土のような匂いはしなかったことを覚えています。のちに開催される「森びとインストラクター」養成講座での講義で「木は頭から枯れる。木は根、根は土だ」とその意味を知りました。
2005年から植樹を行った「臼沢の森」は県が植栽した場所ですが、植樹後の育樹作業の不足と思いますが、竹に支えられた苗木の大半が枯れており、根を確認すると根腐れを起こしていました。宮脇先生は「苗木を植えた後の3年間は下草刈りを行う。3年経てば幼木は草より生長し、草に負けず、木々との競争で成長する。競争しながら、お互いに少し我慢し、共に共生していく」と人間が手をかけた森づくりは、赤ん坊を育てるように、子供の成長を促すように、植樹地の状況を見ながら育樹を行わなければならないことを教えてくれました。しかし、働きながらのボランティア活動のため、どうしても人間の都合に合わせた森づくり参加になっていきました。
足尾の松木地区はシカやサルが多く、禁猟区のため冬になると尾瀬や日光中禅寺方面からシカが越冬にやってきました。木々を守る獣害柵が張られていますが、落石やシカの体当たり、イノシシが柵の下を掘り入り込んできます。点検を怠ると幼木の頭が全部食べられてしまった年もあります。また、草刈りを怠り、苗が蒸し風呂に入ったように草に覆われ枯らしてしまうこともありました。常に問われていることです。
こうした足尾の荒廃地では、3年の草刈りで木々への手助けが終わるわけではなく、豪雨による落石や動物たちに穴をあけられた獣害柵の修繕、植栽地の階段づくり、土留めづくりなど、多くボランティアや献身的なスタッフ、サポーターの皆さんの手仕事によって森がつくられてきました。
2005年に宮脇先生と一緒に植えた40cmほどの木々は、10mを超える森へと生長しました。「公害の原点」と呼ばれ、はげ山(荒廃地)となった足尾の山々ですが、巨大化する豪雨災害に強い森へと育てていく挑戦は終わることはありません。
森づくりの巨人・宮脇昭先生が7月16日に“天空の森”へと旅立ちました。先生、旅立つにはまだ早いですよ。9月15日、森びとプロジェクトは宮脇先生の森づくりへの情熱を少しでも継承できるようにと、臼沢西の森に93本の苗木を追悼植樹します。強者スタッフ、サポーターの先輩方と気持ちを一つにして、山と心に木を植え、いのちを守る本物の森へと育てていきます。
『希望の明日を拓くのは他人まかせではいけない。一人一人が、自分の命、愛する人の命、かけがえのない遺伝子の細い絆を守るために、木を植え本物の森をつくる。これは、いつの時代でもどこでも、人類が生き延びるための正攻法であると確信している。まず植える。植えながら議論しよう。机上の議論をいくら繰り返しても、それだけでは不十分である。実際に木を植え、いのちを育てていこう』(宮脇昭著:いのちを守るどんぐりの森)より。
(運営委員・清水卓)
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