2021年5月 4日 (火)

今年の森づくり事業を総会で決めました

 新年度を迎え、宮城県ファンクラブは新生「森びとプロジェクト」発足に伴い、私たちも新たな組織の再編とこれまでの事業を継続していくために、総会を開催しました。Dsc00984 規約の事業目的である”自然環境と命を大切にする心を育む人づくり”を目指し、そのための森づくりを地道に続けていきます。弱っている森を本物の森へと再生し、地球温暖化に少しでもブレーキをかけていければと思っています。これまでの森づくり活動である仙台市荒浜、名取市閖上の「いのちの森」の育樹活動を中心に事業を進めていきます。Dsc00987 総会では、年4回の育樹活動の日程確認や「どんぐりニュース」を発行することにしました。また、会員の拡大に向け声をかけ、育樹活動を通じて、地球温暖化に向き合う私たちの想いを共有していければ考えています。Img_3063      
 各県ファンクラブの皆さん、森づくりを通して森に寄り添う暮らしを目指す私たちの心を皆さんとひとつにしていきたいと思います。よろしくお願いします。(森びと宮城県FC・林雄一)

2021年4月29日 (木)

地球温暖化にストップをかけるためにアクション

 皆さんこんにちは。栃木県ファンクラブの加賀春吾です。栃木県ファンクラブでは、4月10日地球温暖化にストップをかけるために、私たちの心がけ、アクションを起こすとすればどうするかのテーマで議論しました。メンバー8名の意見は以下の通りです。

 私たちは、CO2を吸収する木を植える活動を足尾で行っていますが、それだけではとても間に合いません。意見では、「現状のままでは、将来この地球で生物が生きていけなくなってしまう。そんな危機意識を多くの人に持ってもらうためにPR活動が必要だ」という事が出され、具体的にはどうするかの意見交換をしました。

P1040536_3桜にメジロ(松木渓谷にて)

P1040596

Img_1548      松木渓谷

 この会議に先立って、栃木県議会民主市民クラブの県会議員3名の方と話し合う機会があり、その場で私たちは、菅総理が2050年までに温室効果ガスを実質排出ゼロにするという宣言をどのように受け止め、県としての方針はどのようなものか?また、県の施策に提言などはできないか?議会の中での議論に私たちの意見を反映していけないのか?等々を模索していることを述べました。今後は、私たちの案を具体的にまとめ、県議会や各種委員会で議論してもらおうと思っています。

Img_1581 PhotoPhoto_3  先週4月22日は地球環境を守ろうとい「アースデー」でした。バイデン米大統領主催の「気候変動サミット」も開催され、菅首相は2030年までに温室効果ガス排出削減目標を26%から46%まで引き上げると発言しました。温暖化対策は「待ったなし」です。是非とも政府として具体的な施策を打ち出していただきたいと思います。そうなると私たちの暮らしにも色々な変化が求められてきますので、その変化にどのように対応していくのか等を話し合っていかなければならなくなると思います。企業の技術開発には政府から補助金が出されます。その企業が作った商品等を私たちは生活に取り入れるようになります。そのような場面の私たちの心構えなどを話し合っていければと思います。(栃木県ファンクラブ:加賀春吾)

2021年4月25日 (日)

春の風が運ぶ桃源郷の叫びに応えて

 福島県はフルーツ王国である。朝晩の温度差がおいしい果物を育てる。その中でも県北では桃が美味しい。桜が葉桜に変わる頃は桃の花が咲き誇る。摘花作業と枝の剪定の後は、ひと昔のようなあふれるピンク色には染まらないが桃源郷のような風景が見られ、暖かい春の風が香りを運んでくれる。

Photo  最速の桜の開花であった今年、桃も例年より1週間から2週間早く咲き、4月上旬には満開になった。そこに遅霜が襲い、10日~15日には気温が氷点下になり、花に霜が付き、実に生長する子房が凍り、枯れたとニュースで報じられた。

Photo_2  美味しい桃を食べれるのは、その土地に適応した様々な改良を重ねてきた先人の結晶。私の住む町周辺に広がる水田から美味しい米がいただけるのも先人が自然界と向き合ってきた営みである。今、桜や桃の最速の開花を見ると、先人の労苦と土が根底から覆されてしまうのではないかと感じている。その上、原発事故による放射能汚染、一昨年の台風による浸水、昨年は桃のモモせん孔細菌病等で桃は痛めつけられている。桃を見ていると、「もうここには住めない」と悲鳴をあげているようだ。

Photo_3  草木の恵みに支えられている私たちの生存ということを考えると、地域の農家の方々の気持ちと消費者の心をひとつにしなければならないと思う。地球温暖化問題は政治問題だが、それは私たちの課題でもあることを改めて実感している。

Photo_4 (森びと福島県FC・東城敏男)

2021年4月19日 (月)

森びと茨城県ファンクラブを結成しました

 森びとプロジェクトの皆さん、去る14日、私たちは森びと茨城県ファンクラブを結成しました。地球温暖化にブレーキをかけていくことが“待ったなし!”と感じている森びと会員三人が活動の拠点を目指してスタートしました。

Image0

Image5  代表は筆者の仁平範義、副代表は大津 崇、事務長は済賀正文です。結成当日は規約を整えて、当面は会員拡大を図り、JR常磐線沿線の地域に相応しい森づくり活動をすすめていくことにしました。

Image1

Image2  写真は、足尾の植物(塚崎さん撮影)

 その具体案は来月中旬に話合い、当面の活動テーマを地球温暖化にブレーキをかける地域で何ができるか、できることをやっていくことを考えています。茨城県に住む森びと会員の友人・知人がおりましたら紹介してください。よろしくお願いします。 (報告・仁平範義)

2021年4月14日 (水)

森と生きる心構えを育む輪を拡げたい

 今年の冬は、日本海側は大雪が降り交通に大きな支障をきたしました。また、冬だというのに、春の陽気となり、時には夏日もやってくるなど。季節が目まぐるしく変化していました。千葉に住んでいても、朝夕の冷えは何となく気候がおかしいと感じる日々です。

Dsc_0041  3年前、千葉の泉自然公園で開催された植樹祭に夫婦で参加しました。その時の気持ちは、地球温暖化防止に少しでも役に立てばという気持ちで参加しました。先週末、その時植えた木々の生長が気になっていたので、公園の木々を見てきました。木々は私たち二人の期待を裏切らず、大地にしっかりと根をはって生長していました。

Photo  4月の入学式を華やかに盛り上げてくれた桜の花は3月の末に満開なってしまい、これまでの習慣が前倒しになっています。千葉県では巨大台風が上陸し、電柱、ゴルフ練習場鉄柱の倒壊、それによる停電と断水が起こりました。今までの人間の大丈夫だという基準では安心して生活できない自然現象が起こっています。

0033

1618138183183   この気候変動に加えてコロナウイルスの猛威という災害が重なっている昨年から今年の生活で感じられているのは、日頃から、自然現象の変化と向き合う心構えを共有する輪の広がりが大切だと思っています。その心は森の中からつかみ取ることではないかとも思います。そんなことを話し合しながら、二人で公園の木々と語り合うことが楽しみのひとつです。(千葉県FC・武田芳明)

2021年4月 9日 (金)

自然環境の変化についていけない暮らし

今年は、温暖化の影響を身近に感じています。秋田の地で4月上旬に桜が開花しました。これまでは春のゴールデンウイークに開花し、桜の北上を楽しみにしている観光客は東北の桜と酒を楽しんでいました。観光業は勿論、仲間たちとの花見の予定が狂い、何かと今までの日常についていけません。

Photo_3     秋田も桜が咲きだした

 ここ数年の間に気温が上昇していることで樹木、山菜、動物までもが活動を早めているようです。自然環境の変化に素早く適応しているのを見ると、人間は大丈夫かと思ったりします。私たちは木を植えて森を育てていますが、自然環境の変化に向き合っていく私たちのスタンスとそのための活動が大事な気がしています。

Photo_4  上の写真のタラの芽は自分の山林で伐採しました。昨年は何者かによって収穫出来ませんでしたので、今年は早めに伐りました。大きくなりすぎて上の部分を切り落としたタラの木です。コナラには椎茸のコマを植えこみ、さらに今年は、ナメコのコマも植えこみました。

Photo_5  このような事をやっている私は、「珍しい人だ」と近所の方々から見られています。そんなことではありますが近所の方々とは楽しい時間を過ごすことができています。

Photo_6  森が作ってくれる恵みに感謝しながら、いつまでもこのような生活が続けられるように森を育て、そのことを通じて仲間たちとの出会いを大切にしていきたいと思っています。(秋田県FC・船木藤典)

2021年4月 4日 (日)

地道に木を育て、小さな森の恵みに寄り添いたい

 毎年、大雨の被害や巨大台風の接近を目の当たりにしていると、後輩や孫たちのこれからの暮らしが気になります。

1  言うまでもありませんが、地球温暖化は、主に人為的に排出される温室効果ガスの増加が原因です。更に、森林破壊によって自然の適応能力が衰退し、持続可能な生態系が崩れつつあります。地球温暖化に少しでもブレーキをかけるため、想いを共有する仲間に呼び掛け、一本でも多く山に木を植え育てる活動に共感し、これまで実践してきました。 

Dsc00979  一方、で自然の厳しさも実感しています。ポット苗や補植した苗木が枯れてしまうこともあり、なかなか思い通りに進まない現実があります。また、猛暑の中での除草作業や補植作業は辛いものがあります。しかし、猛暑だろうと、大寒波だろうともその場でじっと耐えている苗木の姿を見ると、森に寄生することでしか生きていくことができない人間として、今できること地道に取り組んでいきたいと思います。

Dsc00977

Dsc00976  森の防潮堤の木々たちは、毎年、私たちの活動を加勢してくれています。(宮城県FC・林 雄一)

2021年3月29日 (月)

何気なく使っている水の有難さを忘れない生活をいつまでも

 10年前の3・11を忘れないようにしよう、と思い、地震で倒れ傷ついた洋服ダンスと食器戸棚を今でもそのまま使い続けている。それを見ると当時の事を思いだす。Dscn4564 当時、一番困ったことは停電、断水だった。コンビニに駆けつけた時には、水や食料品は殆ど無かった。電気ポットに残っていたお湯とカセットコンロでインスタントラーメンを作り、息子と一緒に食べたことは今でも鮮明に覚えている。トイレは、ふろの残り湯を利用できた。翌日から、人生初の給水車待ちの生活となった。            

Dscn4554_2 当時のニュースでは、湧き水で多くの人々が救われたことを報道していた。子供の頃は、各家庭には井戸や湧水があって、「水神様」を大事にしていた。正月には、お供え餅を井戸に飾り拝んでいた。Dscn7176 以前、「森びとさん達が植樹をしてくれたお陰で松木川の水が綺麗になり、魚が増えて、釣り好きの私は大喜びです。」、という言葉を聞いて嬉しくなった。15年間、森づくりをしてきたことが釣り人に分かってもらえた気がした。そういえば、これまで松木川では見たことのないカワウ、シラサギが現れるようになった。Dscn7249

Dscn4586  これまでは、雨が降ると、岩に僅かに積もっていた土砂が一気に松木川まで流されていた。しかし、草木が増えると、葉と落ち葉のクッションで雨の勢いが弱まり、地表には柔らかに落ちる。浅い土もしっかりと水を溜め、土砂の流出を弱めます。地中にしみ込んだ雨は、ミネラル豊富な水になって沢から川に流れ込む。松木川も自然の循環が甦りつつあるのかもしれない。カワウ、シラサギはそのような自然の循環を感じとっているのかもしれない。命の営みに欠かせない水。これからも森と水の有難さを忘れないようにしたい。(栃木県FC・橋倉喜一)

2021年3月24日 (水)

東日本大震災・福島第一原発事故の記憶を風化させない

 自宅(南相馬市)の庭のぼけの花が、かすかな甘い香り放ち、薄いピンクの色は目の疲れを和らげてくれています。

P1010924  早いもので東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年が過ぎました。自宅は福島第一原発から25kmの所でしたので、5日後の16日から福島市あずま運動公園体育館に自主避難しました。体育館には約2,500人が避難し、ほとんどの方が原発事故の放射線を恐れての避難生活でした。1週間後には横浜市の叔母の家にお世話になり、5月連休後に自宅に帰ってきました。

Dscn4360 10年が経ち、福島第一原発の廃炉作業工程は不透明です。汚染処理水は溜まり続け、海水で希釈して海洋放出する計画案が政府・経産省内で着々と進められているようです。海洋放出が強行されれば、またも海水産物の風評被害が大きくなります。

Dscn4316  震災当時、「福島の復興なくして日本の再生なし」と野田元首相、安倍前首相は言い続けていましたが、その本質は疑問だらけです。原発事故周辺の被災地、被災自治体の住民は1割程度しか戻っていません。特に、若い世代は戻ってこられないのが「復興」の実情です。インフラ整備や建造物はすすめられていますが、原発事故以前のような暮らしが可能な環境は整っていません。

Dscn4204  ポストコロナの新しい心の故郷づくりを、市民の皆さんと探していきたいと願っています。(福島県FC 岩橋 孝)

2021年3月19日 (金)

津波と向き合う心得を後世に伝えたい

 10年前の東日本大震災と言うと、多くの方は東北地方に目が向きますが、私が住む千葉県旭市でも多くの方が亡くなり多大な被害を受けました。

1616137554763  この大震災による千葉県内の死者は22名、行方不明者は2名です。旭市では震度5を観測し、死者は14名、行方不明者は2名、全壊家屋は340棟です。このような被害が出た原因のひとつに、「大津波警報が出ても避難しなかった。」「まさか九十九里に大津波が来るなんて思ってもみなかった。」「防波堤を乗り越えて波が来ることはないだろう。」という海に対する油断がありました。

1616137571071

1616137575400  自宅近くの飯岡海岸は浸食の長い歴史があり、平安時代から波との戦いを長年繰り広げてきたところです。台風による高潮、高波、そして多くの津波災害に遭っている地域です。

1616137566466  戦前戦後にかけ固定教科書にも載った物語「稲村の火」のモデル「濱口儀兵衛」は幕末から明治にかけ活躍した人物で、隣町の銚子市のヤマサ醤油7代目当主でした。「稲村の火」の内容は割愛しますが、銚子から山ひとつ超えた飯岡海岸の浸食や高波、高潮に苦しんだ人々の生活を見聞きしていたものと思います。

1616137547511  旭市では、被害経験や教訓を後世に伝えたいという運動が起こり、2014年7月に「旭市防災資料館」が「いいおか潮騒ホテル」1階脇に併設されています。入場は無料で、これまで約1万人が来館しています。2代目館長の宮本英一さん(72歳)は、「津波に遭って一番反省することは、大津波警報が出ても避難しなかったこと」との反省から、波にのまれた経験や教訓を語り部として来客に伝えています。

1616137560719  大震災後から10年経ちました。私は月に数回は飯岡海岸に行きます。その都度、防災会館を訪ね、次世代の語り部に私たちがならなければと自分に言い聞かせています。(千葉県FC・高梨 厚)