2017年8月28日 (月)

森と人から教えられる森と寄り添う暮らし

森づくりにかかわって10年が経った。それまでの私は、木を植えることは、行政や自然愛好家のやることだと思っていた。しかし、10年間も木々に触れていると、自分たちが生きていくためには森は欠かせない存在なのだと思うようになってきている。

P5126603  山に雨が降り、木々に蓄えられた栄養と水が川に流れ、やがて海に流れつくというひとつの循環によって、全ての生きものたちが生かされている。このようなことを頭だけではなく身体と頭で実感できるので、森づくりは自分たちが生きていくうえで必要なことだと思えるようになっているから不思議だ。 

P8228205  不思議な事はもうひとつある。60㎝程の苗木が10年も経つと8㍍超えに生長し、小さな森が育っていることを目の前にすると何となく嬉しくなるから不思議だ。10年前は、俺ひとりが頑張っても何も変わらないと思っていたが、小さな森に入ってみると自慢したくなるし、森づくりの自信が湧いてくる。やろうと思ったならば少しずつでもいいから行動に移し、継続していくと木々は人に力を与えてくれるようだ。 

2017_0815_141813dscn4553  最近、告別式で手を合わせることの意味を住職の方から聞く機会があった。「額の位置で手を合わせるのは神に祈ること、頭より下の位置で手を合 わせるのは念じること」と言うらしい。この時、何事も神頼みだけではなく、自分の念(想い)を貫き通すためには実行に移すことが大事だ、と思った。これも森に触れながら、先輩たちにアドバイスや激励を受けてきた賜物だと思っている。10年間も森に触れてこられたのは木々たちのエネルギーだけではなく、サボった時の先輩からの叱責、味噌汁作りがうまくいった時の励まし、その嬉しさを共有してくれた嫁さんがいたからだと思う。

P6241257  最近、異常気象のニュースを見たり聞いたりすると、何が出来ることはないかと考えるようになった。原因のひとつは地球温暖化だと思っているので、それにブレーキをかけられる暮らしを嫁さんと話し合っている。

1p  温室効果ガス削減に結びつくように、手軽なコンビニ頼りの食生活からできるだけ地元の物を買う生活へチェンジしようとしているが、そこには手間が増えるので、嫁さんと会話が増えている・・・?。(事務局 福澤 猛)

 

2017年7月26日 (水)

近年の大雨で流された土砂や流木の警告は“暮らしの見直し”?

 7月22日(土)に実施した「夏の感謝デー」では美味しい群馬県産小麦で作った冷麦を冷汁で食べた。勿論、冷汁の食材は旬の地産地消、キュウリとミョウガは子供の頃に食べた味だった。暑い日の草刈後であったので、冷たいゴマ汁は旬の味を倍加させたのかもしれない。

Photo 九州地方の大雨被害

 食後の交流会で筆者が話しをしたことは、「九州地方、秋田県を襲った大雨がこの地に降ったならば松木川両岸の土砂も流されてしまうのではないか!」ということだった。

2 中倉山の松木川斜面

3 今でも崩れる松木川斜面の土砂

 足尾松木村が廃村に追い込まれたのは1902年。100年以上の天然更新と61年前からの本格的な治山緑化事業で岩肌に土が堆積して、やっと草木が茂ってきたこの松木川両岸の草木の力では24時間に100㍉もの雨の勢いには耐えきれないのではないか。

Photo_2 大雨時の足尾ダム

 さらに、松木川の砂防ダムには土砂が堆積し、流される土砂をくい止める余力がない気がしている。足尾銅山精錬所手前に造った三川ダムも同様だ。堆積した土砂の下の方には重金属が含まれている土砂も残っているかもしれない。

Photo_3 普段の足尾ダム

 こんな心配は無用かもしれないが、河川やダムを管理している国交省に訊いてみることにした。と同時に、誰もが実感している近年の大雨の猛威には、“待ったなし!”で向き合っていかなければならない。被害を防止する策は勿論、大雨など想定外の異常気象にブレーキをかけていく暮らしを見直さなければならない。

P7227120  これ以上地球を温めない暮らし方をできるところからスタートすることだ。オーストラリアやアメリカ等の国々から輸入する小麦でつくる冷麦やパン等ではなく、地産地消の食を1億人の国民が暮らしに取り入れるだけで、温室効果ガス排出にブレーキがかかる。

P5218129  さらに、企業や行政が食の地産地消を積極的に推進していくとその効果はさらに期できる。大雨で流された流木や草木はこんなことを私たちに警告しているようだ。

P7197015 大雨で被災された皆さまにお見舞い申し上げ、犠牲となった方々にお悔やみ申し上げます。(理事 髙橋佳夫)

2017年7月 2日 (日)

森の力:クールアイランドと生きるヒントを呼び起こす

 久しぶりに「自然教育園」の森を散策した。体調を崩したのでそのリハビリを兼ねて、港区白金台にあるうっそうとした森を軽く歩いてみた。

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 天気は雨模様だったので、森の中は薄暗く、とても静かであった。お蔭で7千歩を歩くことができ、足の筋肉も鍛えられた。さらに、小鳥たちの囀りや瑞々しい草の葉と小さく可憐な花に気持ちもが癒された。

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 園内のほゞ全ての草木には名前が書かれた杭が埋めてあり、興味を抱くきっかけをつくってくれる。足尾で13年間育てている“ふるさとの木によるいのちの森”も、こんな森に育ってくれるといいなあー!という気持ちにさせられた。森は不思議な力をもっているものである。

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 この森には別の「力」もある。近年、5月から真夏日、猛暑日が各地で記録されているが、特に、東京ではヒートアイランド現象(膨大な量の人工排熱とコンクリートやアスファルト表面からの放射熱)によって、これから熱帯夜の日数が増えて今年の夏も寝苦しい日が続きそうだ。

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 しかし、この森の中では気温が3度~5度低く、昼と夜には風下の住宅地に涼しい風が吹き込むという。この冷却する能力は何と家庭用エアコン約4千台分に相当するという。

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 約100年前に植えられたと思われる木々たちを見るとその有難さが分かる。ところが近年、その巨木が豪雨と強風、ゲリラ豪雨によって幹が折れたり、根上り倒伏している。倒れた巨木や折れた幹は散策道路から見えるが、その木々たちは新たないのちを育む「力」を草木に吹き込んでいるようだ。改めて、生物社会の循環には無駄がないことを実感した。

(理事 髙橋佳夫・参考資料:『自然教育園ガイドブック』より)。

2017年5月31日 (水)

好奇心は新たな価値を生み出す“知恵の素”

 カモシカが足尾・臼沢の森に現れた。13年間この地で苗木を植えて森を育てているが、カモシカが臼沢の森に現れたのは初めてである。対岸の岩だらけの斜面では何度か見かけたことがある。

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 現れたのは5月12日、植樹祭の準備で標高約1千㍍の植樹会場に登っていくと、獣害用ネットにカモシカの角が絡まって、カモシカがもがいていた。カモシカは強暴でないことを知っていた小生は、生後2年ほどのカモシカではないかと判断。後ろ足と前足を確保して逃がしてやろうと思った。

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 籠から紐を取り出し、後ろ足を紐で結ぼうと、投げ輪のようにして紐を投げ、足を紐で絡めた。前足は仁平スタッフに確保してもらった。地面に胴体を倒され、後足が確保されると、カモシカはおとなしくなった。息遣いも静かになり、覚悟した様であった。

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 角に絡まったネットを鎌田スタッフに切ってもらい、10分程度でカモシカを解放してやった。“また帰ってこいよ!”と声をかけ、離してやったが、20㌢四方の柵に突入して、柵から胴体が抜けられなくなってしまった。ペンチを持ち合わせていなかったので、手で針金を伸ばし、そこにカモシカの必死の力が加わり、柵から解放できた。

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 その場では、「カモシカが臼沢の森に興味を持ってくれたのか。それだと嬉しいのだが!」との話になった。特別天然記念物に指定されているニホンカモシカを解放してやった気分は悪くはなかった。落葉広葉樹林や混交林に棲息しているカモシカが臼沢の森を選んでくれたことであれば有難いことである。

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 後ろ足を確保した時にこのカモシカは雄だと分かった。雄のカモシカの縄張りは10~50㌶というから、また遭えるかもしれない。生後2年~3年だとすれば親子で遭えるかもしれない。それまでには間に合わないかもしれないが、この森を元気に育て、柵やネットを早く外してやりたい。

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 「好奇心が強い」と言われているカモシカだが、おとなしいことが体感できたひと時であった。

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 後20日程で暦の上では夏至。アキグミの若葉や花の周囲では人間の暮らしに役立つ小さな社会が動きだている。生物社会には無駄がない。地球温暖化にブレーキをかけていく暮らしのヒントがそこにある気がする。(理事 髙橋佳夫)

2017年4月25日 (火)

ツバメは我が家の大切なこころの友

今年も我が家にツバメがやってきた。10年ほど前から軒下に巣をつくり子育てしている。春を呼ぶ渡り鳥・ツバメは「幸せをもたらす」と言われる。南国から3.000キロの長旅を終え我が家に到着したのは4月5日。大学の入学式の日でもあり、我が娘の入学祝いに駆けつけてくれたかのようだった。

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 10年の間には何度か巣が壊れたが、つがいが協力して泥とワラで器用に巣をつくっていた。リフォームした巣で子育ての準備をしていた。今年は例年より到着が早いようだ。気候変動により暖かくなる時期が早まっているせいだろうか。例年だと田植えの準備で田んぼに水が張ってある頃だ。ツバメは「害虫」を食べてくれる益鳥として古くから大切にされてきた。

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 近年の田植えはゴールデンウィークが集中日になっている。我が家周辺の田んぼに運ばれる鬼怒川水系の水だ。雪どけ水や雨水が木の根や地中に保水され、日光連山や福島県の山々で作られた栄養を田んぼへ運んでくれる。栄養は稲ばかりでなく、カエルやタニシ、ザリガニ、トンボやイナゴなど水中生物や昆虫たちのいのちを育み、次世代へと命をつなぎ始めている。当然、私たち人間も自然に恵みに支えられている。

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 ツバメが我が家で子育てをする期間は約2か月。ヒナが育つのは早く、小さな巣でヒナたちが「おしくらまんじゅう」をするようになると間もなく巣立ちとなる。カラスやスズメなどの「攻撃」を避け、我が家で子育てしているツバメたちはいつの間にか家族の一員となっている。巣立ちは人間でいえば「卒業」の日であり、自然界(社会)にはばたく命がけの日となる。3.000㎞キロの長旅に負けず、来年も我が家に来てほしいと願う。

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 人間社会に目を向けると、大国のリーダーの一部は「他国民」を排除しようと躍起だ。また、長距離ミサイルでの空爆を行い、無辜の民の命を奪ったり、大切な自然をも破壊している。そもそも自然に生かされていることすら忘れ、目先の経済的利益に目がくらみ人類生存の危機に気が付かないようだ。

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 ツバメが笑っている。「家族の一員に迎えられるのは虫を食べているから。虫を食べなければ米は虫に食べられてしまう。互いの命が育まれる自然の循環を忘れないでよ、と。人間社会に生物社会があるのでなくその逆なんだよ」と。

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 2000年6月に発表された「地球憲章」は、持続可能な未来に向けての価値と原則を記している。地球温暖化対策は待ったなしだ。世界のリーダーたちは一読し、具体的に実行することをお勧めする。(東京事務所・清水 卓)

2017年3月21日 (火)

彼岸桜の美しさと山菜を食して気分一新

 気持ちのいい朝、二人で散歩していると、市役所の横に花が咲いているのに気づき足を止めた。ピンクの桜が満開に咲いていた。携帯カメラで写真を撮り、自宅でこの桜を調べてみると、彼岸桜という。バラ科の植物の一種でお彼岸の時季に花をつける桜、と分かった。桜のシーズンは花より花見だが、国内だけでも600種類以上もあることに驚いた。

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 足尾の“さくら”は、人と同様に他の生きもの達にも喜ばれている。足尾では、猿やヒヨドリたちの大人気だ。桜の花から考えてみても、人は森に生かされていることが分かる。 

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 ポカポカ陽気に誰もがワクワクするのは太陽と木々たちの舞台に人が寄り添っているに過ぎない。当たり前のことだが、草木は全ての生き物の命を守るために必至で生きている。どうして命を守ってくれるのか。木々は隠された知恵をもっているのか、そんなことを思ってしまう。多分、人間の五感よりも優れた知性をもっているのかもしれない。

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 私が応援している只見・布沢集落の春の妖精(カタクリ、ユキワリソウ、フクジュソウ、イチリンソウ、ヒトリシズカなど)たちは、雪解けを待ちかねたように芽吹き、急いで花を咲かせ、木々が葉を茂らせる夏前に地上から姿を消す。命をつないできた植物たちの生き抜くための知性、逞しさに近づきたいものである。

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 人間社会では、国会中継を観ていると、“偽”がまかり通っている。野党が追求しないと化かの皮が剥がれない、というお粗末劇が演じられている。この「偽劇」は有権者の大人たちが演じさせている、と言っても過言でない。政治家をプロデュースするのは有権者の大人だが。いつまでも“我が家の春”に慕っていると“生存が不安定”な社会になってしまう気がする。

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 何百年も生き、全ての生き物たちの命を育んでいる木は凄い。木を支えている根はどうやって、何百年生きる術を研ぎ澄ましているのだろうか。木から教えられる事は多いし、まだ、分からないことだらけではないのか。山菜のえぐみを頬張り、“冬眠”から目覚めなければならない時代に入った私たち。

 近くの公園で、美しい可憐な草花の逞しさに心を癒し、森の恵を食して、気分一新。「生存が不安定な時代」を迎えない為に、分かっているが何もしない“つもり(びと)”ではなく、できることを実行に移す”つくり(びと)“ になる時代は待ったなしだ。(理事 大野昭彦)

2017年2月27日 (月)

「しもつかれ」 知恵と心がこもった郷土料理

栃木県では2月、「しもつかれ」がよく話題になります。栃木県から茨城県にかけた地域の郷土料理で、多くの家庭が大鍋たっぷりに作ります。小学校の給食にも出ます。日光市では「しもつかれコンテスト」が毎年開催され、今年の鉄人は71歳の男性でした。「7軒食べ歩くと無病息災」と言われています。

20170225_120058伝統ある郷土料理ですが、見た目のせいか、好き/嫌いが分かれます。

「しもつかれ」由来は、江戸時代中期、天明の飢饉にあるとされています。2月の初午の稲荷神社の祭礼のために、“残りもの”で供物を作ったのが始まりだそうです。

・正月以降残った「新巻鮭の頭」

・節分の残りの「豆」

・保存していた「大根と人参」

・神社の使いのキツネの好物の「油揚げ」

・清酒の搾りかすの「酒粕」

20170219_172557_2寒く厳しい暮らしの中で、知恵をはたらかせて作った料理です。

鬼おろしで大根と人参を荒くけずりおろし、具材が柔らかくなるまでじっくり煮こむ間、自分の生活を振り返りました。

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消費者庁の発表によると、日本は年間632万トンもの「食品ロス」(まだ食べられるのに廃棄される食べ物)を出しています。これは飢餓に苦しむ人たちに向けた世界の年間食料援助量の約2倍に相当します。

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「食品ロス」のうち半分は、家庭からの廃棄物が占めているそうです。廃棄の理由は「鮮度の低下・腐った」「消費・賞味期限が過ぎた」という、何とも勿体ないものでした。計算すると、毎日一人あたり茶碗1杯分の食べ物を捨てていると分かり、自分に思い当たり、反省しました。

20170225_141753食べものを尊んだ昔の人の知恵と心を受けついで、食品ロスを出さない暮らしをしよう、と咲き始めの梅に宣言しながら買い物へ。

ここ数日、購入量が減ったと実感しています。

(事務局 唐澤真子)

2017年2月22日 (水)

“鉄は伸び縮み、劣化すれば緩む”、ということを学んでいる鹿たち?

 2月上旬、足尾・臼沢の森で鹿の追い出しを行った。数匹の鹿が柵内に侵入していたので、昨年秋に植えたばかりの幼木が食べられないように、スタッフ8名は必至なって追い出しを行った。

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 臼沢の森の入り口付近の標高は約800㍍、ここから傾斜30度もある斜面に木を植えてきた。この入口付近から登ること約100㍍までの木々は大きく育っているが、林床には草が殆ど生えていない。よって鹿たちは草がよく生えている900㍍以上の地に現れるのだ。枯れ草の根元に生えている僅かな草を探しながら、この草地に植えた幼木の冬芽を一緒に食べてしまう。ゆえに、この時季の鹿追い出しは標高約1千㍍付近まで登り、上から下へ追い込むのである。

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 柵はスチール製で設置してから10年以上も経っている。鹿を追い出していると、驚いたことに20㎝程の四角い柵の目に突撃した若鹿が、2度目の突撃でその柵の目から抜け出してしまったのだ。鹿の胴回りが60㎝以上はあるというのに、目の前で一瞬のうちに柵から逃げ出してしまった。

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 よく、「鹿は学習している」と言われているが、10年以上経ったスチール製の柵は劣化し、力を加えればスチールが緩むということを学習してきたのだ、と思った。人間は、レールを見ても分かるように、鉄の塊でさえ夏には伸び、冬は縮むということ知っているが、鹿たちは、何度か柵に突撃した経験から抜け出せることを学びつつ、他方では、柵に絡まって命を落とし、キツネやツキノワグマ、トンビの餌となってきた仲間たちを忘れていないのではないだろうか。

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 臼沢の森に植林して5月で13年を迎えるが、いつになったらこの木々たちを柵から解放してやれるのかと、考えさせられる。木々は、葉や枝が動物たちに食べられても、動物たちに届かないところの枝や葉で生長できる。これでバランスがとれていると何の問題もないのだが、柵外の地は鹿たちにとっては美味しくない木々が多いらしい。柵の危険を知りつつも、鹿にとっては命を維持するために木々の芽と幼木が植えられている柵内の草地に入り込むのだろう。そのたびに、鹿たちは“劣化しつつある鉄は緩み、伸びる”ということを学んでいるのだろう。生きるための本能なのだろうが、人間にも学ぶところがあるように思う。(理事 髙橋佳夫)

2017年1月22日 (日)

「保護」するのは「国益」ではなく、生態系豊かな大地だ

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 大寒が過ぎ、厳冬を迎える足尾松木沢。今年は荒廃地が白くなるのが早い気がする。土の中は雪が積もっている方が温かいから、土壌動物や根には居心地がよいかもしれない。

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 昨年夏、新松木の杜で草刈りをしていたら、ネムノキとヤマナラシが元気に生きていた。この杜は2011年9月に植林したが、ムネノキ、ヤマナラシは植えなかった。樹高は1.5㍍程あった。多分、種が風や鳥たちによって運ばれてきたのだろう。当時植林したカエデやコナラ、カツラも歓迎しているようだった。松木川沿いに生えていたので、沢風が種を運んできたのだろう。獣害防止として柵が張ってあるが、風、鳥、猿たちには柵は壁になっていない。自然界は柵どころか壁もない。この生物社会の一員が私たちで、大切な命が育まれている。

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 トランプさんは大統領就任後の政策の一つに“国境に壁を造る”という。第193回通常国会の施政方針演説をした安倍首相も「壁」を連発した。共通していることは、経済成長のために一方では「壁」を造り、他方では「壁」を打ち破っていくという。また、共通していたこと?は、地球温暖化対策を撤廃するトランプさん、安倍さんは施政方針演説で地球温暖化対策を一言も触れなかったように、生物社会の一員でいることが分かっていないようだ。

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 「壁」の中では干ばつで農作物生産の先行きが悪くなる。さらに、毎年、巨大ハリケーンが何十万人が被災しているというのに、日本でも、毎年、局地的集中的が豪雨が暴れてライフラインや家などが壊されて暮らしが脅かされているというのに、その大きな要因が地球温暖化による海水温度上昇であるというのに、積極的な発言は両首脳からは聞くことはできなかった。命よりも「そろばん」(経済第一)が大事なようだ、と驚いた。

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 ヤマナラシは沢や森に風が吹き始めと葉と葉が擦れて音をだし、“風が吹いてくるよ!”と人や生き物たちに教えてくれる。時には恐ろしいウィルスが国境を越えてくるが、人間の支え合い、助け合いによって命は育まれている。生きていく基盤は大地と海そして森である。「保護」するのは「国益」ではなく、命を育む生態系豊かな大地ではないか。(理事・髙橋佳夫、写真:仁平範義)

 

2016年12月21日 (水)

雪の森の中で教えられる明日の糧

12月中頃から本格的にまとまった雪が降っている盛岡市。先日、家族と雪の八幡平市県民の森へ出かけた。積雪は(くるぶし)あたりまであり、森の中は生き物の足跡もなく、物音もしないシーンとした雪景色で、街中の喧騒とは無縁の空間だった。

 背筋を伸ばして雪を踏んでいると、どうしてなのか分からないが気持ちが落ち着く。冷たい風が顔に当たると、気持ちがピーンと張るようになる。頭の中にはこの地での森づくりに携わっていることが浮かび、この活動が生活の一部になっている自分を再認識できた瞬間をつくってくれたこの森。

 ドングリをひたすら集めて苗を育て、生長した苗を植えて小さな森にする地道な作業が、硫黄鉱山跡地の自然環境回復に役立っていくだろう、と思っていると気分がいい。同年代の友人知人にとっては中々分かってもらえそうにないが、硫黄精錬の残土堆積場の草地に育てた幼木が根を張っていることが私にとってはとても嬉しい。

 自然の循環の舞台になる森になっていくにはまだまだ先の事ではあるが、わずかな時間と労力を森づくりに費やして、森に向き合っていくことを苗木たちは見ているんだと信じている。

 この大地の恵みが繁栄につながっているが、閉山後の荒れたこの大地はどんな恵みを私たちに享受してくれるのか。と思うと、この大地は目先の恵みではなく、恵みを育むことのできる“森と生きることの大切さとその責務”を私たちに恵んでいる気がする。

 来年も、人間の驕りを捨て、森に生かされていることを心にもって、未来のいのちを育む森を育てていきたい。(事務局 鎌田 恒)