2019年3月31日 (日)

足尾・松木村跡地のシンボルツリー・クスノキよ元気に

 啓蟄を過ぎた頃から、足尾入りが楽しみであった。その楽しみとは、スタッフの松村宗雄さんが心を込めて作った藁の菰を剥ぐ瞬間に立ち会えたいとおっもていたから。

P9108367 枯れたクスノキ

P6121709 根元から芽が出た

 松木村跡地の木々のシンボルになってくれないかと二年前に植えたクスノキ。これが枯れてしまったと思ったら、夏に根元から芽を出してくれた。根元からは数本の幹が伸び、冬を迎えようとしていた。できることをやってクスノキを枯らさないようにしよう、と話合った結果、松村さんは藁で菰を作り、クスノキを覆ったのが昨年の晩秋。 

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Pc013902  菰は何時ごろ剥ぐのか、と松村さんに訊くと、「春分の日が過ぎてから」と返事が返ってきた。事務作業があって足尾入りができなかった筆者、後に、スタッフからその様子を訊いた。

P9243083  クスノキは写真のように、菰を被せた以前よりも元気そうであった。その写真を見て、話を訊いた瞬間はとても嬉しかった。松村さんと会った時(3/23)、その歓びとお礼の言葉を伝えた。 

 松木村跡地の環境にとってクスノキは厳しいと思う。しかし、その環境を和らげる努力をするから、松木村跡地の環境に適応してほしいと願っている。その第一弾の努力をクスノキに捧げた松村さん。森づくりから培われた松村さんの情熱と木々への畏敬の念の賜物であると思う。

P3304860  晩秋から春先までは寂しく感じる松木村跡地の草地。そんな寂しそうな茶色い松木村跡地をみどりが和らげてくれるクスノキの生長ぶりを見せてほしい。それが「足尾isハートランド」のシンボルとなってほしい。厳冬を耐えてくれたクスノキに感謝である。(理事 髙橋佳夫)

2019年2月25日 (月)

自然の恵みへの感謝と人を重んじる暮らし

 冬の草地に露出している岩やヤシャブシの幹にへばり付いている生きものが目立つ今季の足尾松木沢の草地。下の写真は地衣類というが、地衣類は大気中から水分、酸素、二酸化炭素を吸っているという。地衣類は特殊な物質を持っているので、昔から腐食防止、防虫防止に使われ、現在でも漢方薬の原料に使われている。

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Photo_13 P2232263 P2232264  5千万人ものアメリカ国民が大寒波や山火事の被害に遭っているというのに、「こんなに寒いのに温暖化?」などというSNSを発信している大統領。さらに、この大統領は世界190カ国以上の国々が地球温暖化に向き合っているというのに、「パリ協定」から離脱宣言している。その大統領をノーベル平和賞候補に推薦したという安倍首相。日本国民として恥ずかしい限りだ。己の名誉や人気を重んじているリーダーたちに、大地や緑を眺めることをお勧めしたい。

4  今年の春は猛スピードで訪れている気がする足尾松木沢。大地の氷が融けて、水分が土に沁み込んで地表が黒くなっている。耳を澄ますと、氷が融ける音が聴こえる。

Photo_12  間もなく啓蟄を迎える。猛スピードでやってくる大気の変化に適応する地衣類や苔の働き。春の陽ざしに感謝しながら、鉄瓶で沸かしたお湯で淹れた足尾フォレストコーヒーを飲みながら、空間と時を分かち合うひと時がたまらない。

Photo_13  地衣類など地球に生きる全ての生きものたちに支えられて生きているという現実を大統領や首相も忘れないでほしい。(理事 高橋佳夫)

2019年1月26日 (土)

身は隙間風に震えるが心の中には春が来る

 首都圏に雨が降らない日は今日で1ケ月位になる。間もなく立春を迎えるというのに、地表に水分が薄くなり、生きものたちはどんなことで地表の乾燥をしのいでいるのか。

P2230135  この時季、一週間ほど足尾で寝泊まりしていると、冷たく痛い寒風を防いでくれる草木の恵みにホッとする。というのは寝泊まりしている長屋は足尾銅山が操業していた当時の社宅。雨戸や窓は木製で、隙間から隙間へ寒風が通過する。深夜から早朝の部屋は冷たい。 

 隙間にはビニールハウスの余ったビニールを張っているが、それでも寒風は入り込んでくる。それを障子紙一枚が冷たい風を防いでくれる。身体は布団と“どてら”で包み、頭は毛糸の帽子で覆い、顔にはマスクを付けて寝る。障子、寝具の原料は全て草木や生きものからの恵みだ。それを先人たち様々な失敗を重ねて、人の命を育むために紙や綿そして毛糸を作ってくれたものである。 

P1152212  間もなく立春を迎える。日毎に陽が長く射している。これまた自然の恵みが有難い。厳寒地で暮らす人々の“春が待ち遠しい”という気持ちが分かるような気がする。布団の中で眠りにつく前には、松木の杜に咲くスイセンは昨年よりも早く冬の香りを届けてくれるのだろうかと思うようになっている。

Pc149700  春雪がカラカラした空気を湿らせ、和らげてくれると、スイセンの香りは一段と春を待つ心を歓ばしてくれるだろう。(理事 髙橋佳夫)

2018年12月19日 (水)

クスノキのものがたり

 師走に入り、足尾は日に日に寒さを増し、木々はすっかり葉を落とし、雪も降り本格的な冬を迎えました。「遊働楽舎」(みちくさ)の前に植えてあるクスノキは、鹿なのか、猿なのか分かりませんが葉が食べられて枯れてしまった様子でした。松村宗雄スタッフは、枯れた木を抜いてしまおうと思って幹を見てみると、地表に芽が出てきていることに気づいたのが今年の春でした。

P6121709 Cimg8613  その芽は、その後も大きくなり育っていたので、枯れた原因を考えているとそれは獣害ではなく、寒さのせいで枯れたことが分かりました。

 そこでクスノキを調べてみると、クスノキは「樟」や「楠」と書き、「楠」という字は中国のタブノキを指す字で、常緑高木で南方方面に多く生息し、食用となる「アボカド」や「タブノキ」の仲間で、樹皮が香辛料となる「セイロンニッケイ(シナモン)」、「ゲッケイジュ」、「クロモジ」も同じ仲間のクスノキ科でたし。クスノキは、言わずと知れた「樟脳」の原料です。樟脳とは、クスノキの葉や枝などのチップを水蒸気蒸留して結晶となったもので、一般的には衣料の防虫剤として使用されていますが、血行促進や鎮痛作用・消炎作用があるためかゆみ止め、リップクリーム、湿布薬などの医薬品としても使われています。

 このようにクスノキは、私たち人間の暮らしに深く関係がある木なのですが、もうひとつテグスサン(天蚕糸蚕)という蛾の幼虫はクスノキ(樟)やヤナギ(柳)などの葉を食べ、絹糸腺からテグス糸を作りだすことから日本でも一部地域で飼育しているところがあるそうです。

Cimg8502  そんなクスノキが枯れたと思っていたところ、この夏を過ごして上の写真のように立派に茂り、2年目の冬を迎えました。昨年の二の舞にはさせないと、松村(宗)スタッフは防寒対策を考えていました。筆者は兼六公園でよく知られる雪吊りをイメージしていましたら、松村さんは「雪は問題ない。霜の方が怖い」と言っていました。新潟育ちの福原スタッフも「雪が降るとむしろ暖かい、雪が溶けてそれが寒さで凍ると木は枯れてしまう」と教えてくれました。そこで松村(宗)スタッフが考えたのは、藁で囲うことでした。

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Cimg8520  橋倉スタッフからは、「桐生駅前の街路樹にクスノキが植えてあるよ」との情報でしので、早速、桐生駅に行ってみました。北口の駅前に18本のクスノキが生えていました。

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P1020940  桐生は古くからの織物の町です。駅から徒歩で8分程の「織物会館」に行ってみました。ここでピンときたのは「樟脳」、防虫=樟脳ということなので桐生はその生産も盛んであったかもしれないと思いました。織物会館の案内人は、「へぇー、そうなんですか」と、逆に質問されました。クスノキ・樟脳と桐生の絹織物との関連、この話は謎のままです。

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Cimg8548  話は戻りますが、「みちくさ」のクスノキの防寒は写真のように、菰(こも)を巻いたようになりました。クスノキも松村宗さんの思いに応えてくれる気がしています。

P9243081  ところで「楠学問」という言葉があります。意味は、『クスノキは成長するのは遅いが大木になるところから、進歩は遅いが着実に成長し大成する学問。「梅の木学問」という言葉もありますが、こちらは早く成長するが大木にはならないことから、進み方は早いが学問を大成させないで終わるそうです。

 私もクスノキのあやかり、足尾の草木を着実に生長させ、毒害以前の森に蘇えるように努力していかなければと思います。(事務局・ 加賀春吾)

2018年11月25日 (日)

森づくりは本当の人生の目的を教えてくれる

 職場の先輩がひょんなことから家庭菜園を始めたのは、かれこれ10年ほど前になる。子供に、野菜はどこでできるかわかると訊いた時、子供は「スーパーでしょ」と言われたことから始めたという。今では、市の畑を借りて旬の野菜を育てるほどにまで熱中しているそうだ。きっかけは子供の教育の一環であったのに、そのうちに趣味になった。家庭菜園というのは奥が深いのだろうと思った。失敗も多くあるが、人やインターネットなどで調べて野菜がちゃんと育つように勉強しているという。 

Dji_0010 足尾・松木の杜

 私も森びとと出会い、どんぐりを育て森づくりを勉強している。きっかけは職場の先輩に手伝いをお願いされた時。そのときは手伝い程度であったが、どんぐりを育ててみると、空腹感が嬉しく感じた。外で食べる弁当のおいしさが嬉しく感じた。

Pb233812 獣害用柵設置

 人間が本来、生きていくために行う「自然に働きかけて恩恵を得る」という身体の働きの嬉しさを森びとを通じて感じている。コナラやミズナラほどの生長には及ばないが、筆者の心の中では”自然と向き合うことの楽しさ”ということが芽生えているようだ。 

Dji_0004 少しばかりの努力に応えてくれた木々

 その上、森づくりでは多くの出会いがあり、11月4日の南相馬市植樹祭では、市職員と出会うことができた。この方は、関西に住んでいたのだが家族を亡くした後、何か社会に役立つことができないかと考え、南相馬市役所で市民生活のと仕事をしている。定年前に地方公務員を退職しての社会への恩返し、という実践性に驚いた。と同時に、素晴らしい人だと思った。こういう方々と森の防潮堤応援ができることが嬉しい。 

Dji_0002mov_000107699 私たちの森づくり拠点・足尾

 社会人の仕事とボランティア活動二足のわらじをはいている筆者だが、いつかは南相馬市で出会った方のように、社会に恩返しのできる心を耕していきたい。(事務局 福澤 猛)

2018年10月31日 (水)

巨大台風が残していったメッセージは“これ以上地球を温めるな!”

10月の台風24号が通過し、台風は様々なメッセージを残していった。暴風に運ばれた雨塩による停電。そして木々と農作物の煙害。関東では京成電車が長時間運転を見合わせてしまった想定外。

Dsc_0267  さらに、関東ではJRや私鉄の一部が計画運休をしたが、利用者の受け止めと鉄道会社の計画がマッチせず“混乱”が生じた。台風のメッセージは人間が想定外の気象と向き合う方法を考え直さなければならないということではないか。  

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Pa013249 写真上3枚:台風24号後の松木川と足尾ダム

 原因は猛烈な台風が海から何十キロ離れた所に塩を吹き付けたこと。これまでにも台風は日本各地に上陸したが、このような煙害は40歳の筆者にとっては初めてのことであった。台風が残してくれたメッセージを考えてみると、これ以上地球を温めるな!ということだと思う。

Pa013266 足尾・松木沢の折れたアキグミ

 台風は上昇した海水温度の調整をすると言われているが、深海の温度が上がってしまうと調整は難しいとも言われている。直ぐには温暖化にブレーキをかけられないと思うので、これからの台風は「スーパー台風」に巨大化するかもしれない。こんな予測をすると、私たちのライフラインのあり方、暮らし方に“塩害防止”という策を追加しなくてはならないかもしれない。

Pa013253  人間は防止策を考えればよいのかもしれないが、木々や農作物は枯れてしまう。そのようになってしまうと、巨大化する台風の被害は私たちの命の問題にまで発展しそうだ。塩害対策について沖縄の友人に訊いてみようと思う。(事務局員 塚崎将幸)

2018年9月27日 (木)

空っ風から家を守る先人の知恵

 秋の紅葉の終わりを迎え、丹色の空の夕暮れが見られるようになるともうすぐ冬が来ると感じます。(写真下)冬になると私が住む群馬では空っ風が吹きます。上毛かるたという郷土のカルタで「雷と空っ風義理人情」と詠まれるように上州人の性格を形作ってきたひとつだと思います。

1  私の住む地域では、空っ風のひとつである浅間山から吹き降ろす「浅間おろし」と呼ばれ、冷たく乾いた風が吹きます。また、「赤城おろし」と呼ばれる風は赤城山のふもとの県央あたりで吹きます。風の強さを分かり易く言えば自転車をこいでも前に進まなくなるぐらいで、時には看板も飛ばすくらいです。その一方で空っ風はものを乾かすという文化をつくり群馬の生活を形作った自然の恵みだと思います。

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 自宅の地域では「樫ぐね」という、この風から屋敷を守るための樹木の垣根が多くみられます。(写真下)高さは家とほぼ同じかそれよりも高く、屋敷をぐるりと一周します。ようするに「防風林」「屋敷林」です。

Photo  「樫ぐね」の「樫」は樫の木のことで「ぐね」は垣根のことです。この言葉は群馬の方言だと言われています。現存し整備された「樫ぐね」は立派でその機能を発揮していると思います。

Photo_3  「樫ぐね」は高さが家と同じ位で、幅も敷地と同じ長さなので手入れが大変です。高齢化がすすむと個人で手入れをするのは難しく大変です。私の家にも「樫ぐね」がありますが、手入れをしやすい高さに伐ってしまいました。(写真上)それでも樫は生長するのでその時期になると手入れをしなければならないので大変さは変わりません。最近では「樫ぐね」のある家が減ってきたと思います。家造り進化や宅地化で、一軒家は少なくなり、隣との距離が短くなってきました。

5  「樫ぐね」のある風景や家を残していくことは社会の変化に伴い難しいと思います。しかし、現代では、風だけでなく、葉の蒸散による気温調整、命に欠かせない二酸化炭素吸収という視点から「樫ぐね」の存在を考えると、その役割は大切ではないかと思います。手間はかかりますが「樫ぐね」を残すことによって先人の知恵を後世へ、現代人の知恵を後世につなげていけると思います。そんなことを考えながら、間もなく“空っ風”と向き合う季節を迎えます。(事務局員 岡部浩之)

2018年7月17日 (火)

人のふるさとを尊重する豊かな心を養うことができた旅

 先月、森びと主催の「心の森探訪」に参加した。訪問先は岩手県の八幡平で、森びと・みちのく事務所主催の植樹祭への参加と、育苗・育樹活動場所の見学や、小岩井牧場や盛岡手づくり村などの観光地を巡るといった盛りだくさんの行程だった。

Photo  八幡平の植樹地である松尾鉱山跡地は、栃木県の足尾町と同様、鉱山開発による煙害と鉱毒により、周囲の木々が枯れ、その自然環境の多くが破壊された場所である。もともとはブナやミズナラが生い茂る森林であったが、現在は外来のあざやかな花が目立つような草が多くを覆っている。土を掘り返すと強酸性の土壌が現れるような場所であるため、せっかく育った木々もある程度まで伸長すると枯れることもあったと言う。その上、猛烈な冬の寒さと風そして雪に襲われる土地であり、教科書通りには木々が育たず、さまざまな挑戦や試行錯誤が必要だったそうだ。

Photo_2     鉱山で働いていた方々の社宅跡

 そのような場所にもかかわらず大きく育ちつつある木々を観察しながら、10年間の森づくりの概要を伺った。土壌改良に使用する炭焼きの現場や、丈夫な苗を育苗する苗床なども見学させていただき、ここに至る過程がどれだけ大変であったのか、そしてまた、どれだけ工夫をしながら、なおも楽しんでやってきたかを知ることができた。たまたま少し自由時間があったため、盛岡の街を歩いた。街の人と話しているとどこかで八幡平とつながった。今回の旅で改めて感じたのが、ふるさとの自然に心を寄せることのできる「豊かさ」のようなものだった。

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Photo_4     2006年に試植した荒れ地(上下)

Photo_5     荒れ地に強いヤマハンノキの生長

 古い喫茶店のマスターからは、「中津川サケ物語」というパンフを頂いた。そこには昭和40年台の松尾鉱山からの排水がはっきりと写っていて、現在の美しい水面が対照的に配置されていた。昭和30年台後半は多くの魚が姿を消していたそうで、当時の汚染状況が良くわかる資料となっていた。鮭の戻ってきた美しい川は、地元の誇らしい宝物であるにちがいない。老舗和菓子屋のおかみさんは、休みになればいつでも岩手の山々を歩いて植物を観察されているという。八幡平の親戚が松尾鉱山で働いていたこともあり、夏祭りに行われていた花火大会の思い出などを話してくれた。僕らが木を植えている話を聞くと、おかみさんは、本当は「私達がやらなきゃならないことなのに」と言ってお菓子をご馳走くださった。 町中の酒屋に立ち寄ると、そこは自由に角打ちができる店で、利益を度外視した価格で飲み物や食べ物を提供していた。そのお店は、地元の人達もいちげんさんもあっという間に打ち解けて、いろいろな話ができる場になっていた。そこでも八幡平で植樹をしてきたことを知ると声を合わせて感謝と労いの声をかけてくれた。

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Photo_8  「人が自然と共存するのではなく、人は自然の一部なのだ」と、みちのく事務所の方が話をしていたが、事実はそうであっても、実際にそう感じられる人はそれほど多くはないと思う。それはおそらく多くの人たちがこうした心を寄せることのできる自然を持たない(持てない)からなのかもしれない。都市で暮らしていたら自然は必要のないものと感じられても仕方ない。物理的には遠くとも、ふるさとの自然(あるいは「心の森」)があって、その自然とつながっている、大切にしようと思う、そんな感覚を持つことができれば、他人のふるさとを尊重することもできるのではないかと思う。そこから自然を破壊しつくしたり、人が制御できないものを作ったり動かしたりする発想は生まれないのではないか。であればこそ、多くの人たちがそういう「心の森」を持てるような、そんな橋渡しをする役割が、とても重要になってきているような気がする。

Photo_7  今、当委員会でも「森の案内人」を実践する講座が始まった。どうしたら多くの方々に伝えられるのか、みんなで学んでいる。たくさんの自然を愛する人たちと出会い、そんな事を考えるきっかけを頂いた「心の森探訪」であった。(事務局 小黒伸也)

2018年7月 3日 (火)

木洩れ日に癒されてコミュニティーの原点を考えたい

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足尾・松木沢の森ではクリ、ヤマグワ、ウワミズザクラの実が熟するようになった。ここ3年~4年、秋にはクリを茹でて食べ、ウワミズザクラの実や桑の実を美味しくいただく時季になるとその話が楽しい。

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P6141117  猛暑日が続く足尾・松木沢の森では今が草刈りの真っ盛り。クリ、ヤマグワ、ウワミズザクラの近くで作業すると、恵みを与えてくれる木々たちを“大切にしたい”という気持ちが芽生える。

P6151136  自然の恵みの有難さをスタッフと話していると、その実は誰かに取られたくないという気持ちが芽生える。どういう訳か、自分たちだけが独占したいという気持ちが頭を過ぎる。この気持が優先されると、熊や虫たちと我々との恵みの分配とかという意識が薄れてしまい、独占欲、独占するための悪知恵が人間社会に浸透してきたのではないかと思う。

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P6241234  森に生かされている一員にすぎない人間ということを忘れてしまうと、コミュティーを成り立させている「平等意識、所有欲や名誉意識など個人の欲望を抑える力・・・。」という共同体の原点が退化させられる気がする。日本の一部政治家の言動やトランプさんたちの「〇〇ファースト」を読んだり見たりしていると、彼らは、石川啄木が言う“人類の退化”(大人の絵本・『サルと人と森』森びと著書)の路を進もうとしている気がしている。

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P6292133  足尾・松木渓谷入口の憩いの場所・「みちくさ」の“木洩れ日ガーデン”に癒されていると、こんなことを創造させてくれる。この森の力に感謝しつつ、連日の猛暑日を引き起こしている原因のひとつである人間の暮らし方が気にかかる。地球温暖化にブレーキをかけていく運動のアクセルを踏み込み続けなければならない。今日はそのアクションのひとつを国会議員会館で話し合う。(理事 髙橋佳夫)

2018年6月 7日 (木)

未来の暮らしを切り拓くときには“引き算をするな!”

 第37回足尾の植樹祭では、想定外の異常気象の原因である地球温暖化にブレーキをかけていくために、極力ゴミを出さないことから考えて頂こうとそのきかっけをつくりました。具体的には、これまでのように遠方から運ぶ弁当から、食材の地産地消と地元志向、食器類はリユース食器にしました。準備にはその判断に時間がかかってしまい、本番では大型テントが軋むほどの強風のいたずらが重なり、調理に手間がかかりました。しかし、参加者の協力や励ましの声をいただき、地球温暖化にブレーキをかけるきっかけがすこしでも創りだせたのかと思っています。

_dsc3367  後日、食器レンタル団体の認定NPO法人からは「使い捨ての食器の代わりにリユース食器を950個ご利用いただいたのでCO2を73.15㎏削減することが出来ました」という報告が届きました。環境省、林野庁によるとスギ1本が年間に吸収できるCO2量は14㎏。今回は、5.2本分だそうです。(ちなみに人間ひとりが一年間に排出するCO2量は約300㎏と言われています)僅かなことかもしれませんが、暮らしを振り返ることに繋がっていければ嬉しいです。  

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Omd1554111  今年の春(3月~5月)の全国平均気温は観測史上最高でした。4月下旬には、赤道の北側に位置する中国、インド、アメリカ等では、想定外の砂嵐や大雨で市民の暮らしが脅かされました。誰もが“地球はおかしくなっている?!”、と感じている現代。このままの暮らしを続けていくならば世紀末には“生存が不安定な時代”を迎えると問われている私たち。その一人の私が植樹祭を運営して反省したことは、意思した者が実行してみないと何事も動かない、ということでした。

Img_1933  極力ゴミを少なくしよう!と声があがったのが2年前。その後、誰一人そのたの準備、議論を深めようとはしてきませんでした。「地球温暖化にストップをかけていくことは待ったなし!」と話し合ってきた一人として、振り返ると恥ずかしく思います。

「準備が大変だ、参加者から受け入れられるだろうか?」「旬の竹の子を地産地消で調理するのは大変だ」「衛生面は大丈夫だろうか」等、マイナスの意見に引っ張られてしまった私。最終的には足尾スタッフの皆さんのヤル気に押されて、食器のリユース、極力地元の食材でおにぎりを用意し、旬の竹の子もスタッフに大変お世話になって昼食を提供することができました。 

_dsc3366  宮脇昭最高顧問は、「CO2の引き算だけでなく足し算の対策を、それこそ土地本来の森づくりである」と、著書に書かれています。これを実践するという事は、世紀末に“生存が不安定な時代”を迎えないと意思した者は、天空の森へ旅立たれた岸井理事長が掲げる”希望の松明”を燃やし続けなければならないと実感しました。来年は当会設立15年を迎えます。今年の植樹祭は、筆者にとって、新たなスタートがきれた気がしています。植林ボランティア、スタッフの皆さんに感謝です。(事務局 水落一郎)

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