2014年1月 3日 (金)

楽園は森林(もり)の中にあります?

P1025922  足尾で森づくりをやっていると、森林(もり)は、生きていく知恵や生物社会の一員であることの再認識、そして自然の脅威を私たちに教えてくます。

P1021550  9年前に植林した幼木は幹の径が5~6ミリ程度、樹高が1㍍以下でした。今では、その幼木は樹高が7㍍を超え、幹の径は大人の腕の太さを超えました。この木々は一昨年の台風15号の豪雨、昨年の台風18号の豪雨に遭っても土砂や岩をガードして土砂の流出はありませんでした。ところがこの小さな森林(もり)の対岸の岩山斜面では、その豪雨によって一気にいくつもの滝ができ、岩や石などが流されました。この時季、鹿やサルそしてカモシカがこの斜面を移動する度に石が転がり落ちます。私たちが植林しているこの辺は栃木県が管理している土砂流出防止保安林地帯ですが、その意味を森林(もり)は教えてくれます。 

P2143389 特に、昨年は豪雨の猛威が世界各国を襲い、洪水、土石流、土砂流失、がけ崩れ等を引き起こし、多くの犠牲者と被害をもたらしました。これらのニュースを耳にするたびに、世界の人々のライフスタイルを見直さなければならないと感じます。そして見直すヒントのひとつは生物社会の掟なのかもしれません。 

 足尾の現場に立っていると、“ここには松木村当時から生えていた木を植えてくれ!植林した後は草との競争に負けないように草を刈ってくれ!その後は生物社会の掟があるから心配するな!”と、谷風がささやいでいる気がします。

 私たちの森づくりは、まだ、植林してから9年程ですから、これからも色々な知恵と自然の怖ろしさを教えられることでしょう。ちなみに、明治神宮の杜は100年先を見据えた森づくり設計です。杜の植林は1915年に始まりしまたから、神宮の杜は間もなく100年を迎えます。 

P5154448  松木渓谷を訪れる皆さんとの出会いを楽しむために設置した「遊働楽舎」(愛称名:みちくさ)の西側に、一昨年、池を造りました。池には一カ月も経たないうちにミズスマシやボウフラなどの虫が集まり、昨年の夏にはヤマアカガエルが産卵し、孵化した子どもたちは山に巣立っていきました。これには驚きました。さらに驚いたことは、アナグマが池の近くに現れたことでした。オタマジャクシは無事でしたが、雑食のアナグマには美味しいご馳走の匂いがしていたのでしょうか。 

Pc123170  この時季は森を育てている私たちにとっては鹿や猿の食害対策に追われます。私たちにはススキやチカラシバ等の葉を食べてほしいと思うのですが、鹿や猿はその葉は食べてくれません。鹿は前足で雪をどかして何かを食べていますが、雪が多いと食害防止柵を飛び越えて、あるいはネットを噛みきって柵内に入り、若木の樹皮と冬芽を食べます。

P7011971  これは生きていくための当たり前なことでありますが、「成木になるまで待ってくれ!」と心に言い聞かせて、ホイッスルの音や大声で鹿や猿を柵外に追い出しています。特に、桜の花が咲く頃の猿には困ります。桜の本数が少ないこともあって、猿は半日で全ての花を食べてしまいます。

P4281054  鹿や猿にとっては美味しい皮や冬芽、甘い蜜を含んだ桜の花を食べられることが彼らの“楽園”と感じる瞬間かもしれません。私たちにとっては荒涼とした岩山の背景に映える桜の花が見えることが楽しみなのですが・・。どちらをとるのかは人間の暮らし方に左右されるようです。

 原発に頼らない森と共に生きていくライフスタイルということは、森林(もり)から授かる恵みや知恵が人間の暮らしのベースになっていること、つまり、生物社会の一員に過ぎないということを絶対に忘れない、ということが大前提になるのかもしれません。 

Pc123174  楽園探しは、“生きている”ということではなく、“生かされている”ことを発見することかもしれません。皆さんも、楽園探しの旅に出かけましょう。本年もよろしくお願いします。

2014年1月(理事・高橋佳夫)

 

2013年10月14日 (月)

森のお土産、キノコ

Pa262532  森の主役は、もちろん樹木である。中でも高木となる樹木は、その他の亜高木、低木、草本などの脇役を従えて森を統率する。森に住む動物たちも、脇役にすぎない。しかし、私たちが森の中を歩いて楽しみを見出すのは、むしろこの脇役たちのおかげである。

Pa170539  単に山を登ることのみを目的とする人たちよりも、草木の名前がわかり、鳥の声を聞き分けられ、虫の姿に感心する人たちはもっと森を楽しんでいるはずである。更に、もう一つ付け加えるならば、キノコの知識があるとよい。キノコは姿形が可愛らしいばかりでなく、中には素晴らしく美味しいものがあるからである。スーパーで売っているシイタケ、マツタケ、エノキタケ、シメジ(本物ではない)などだけで満足するなんて、もったいない。味、香り、歯触りでこれらに勝るキノコはいくらでもある。

 私のキノコ狩りのホームグラウンドは奥日光、富士山、志賀高原の3か所である。以前は日光の光徳沼の近くにある山小屋を借り切って、4~5家族で泊り込み、昼間はミズナラ林の奥深く分け入って、ナラタケ、クリタケ、ナメコ、ムキタケ、コガネタケ、ヤマブシタケなどを見つけては欣喜雀躍し、夕方からはみんなでキノコに付着した落ち葉を歯ブラシで落とす作業にかかり、料理に着手。煮つけ、おろし和え、天ぷら、茸入りスパゲッテイーなどが出来上がる。それに加えて上等のステーキ、赤白のワイン、厳選したフランスパンが卓上に並ぶ。山小屋の窓からは満天の星空が見え、だれかがギターを奏でる。一年一度の贅沢茸パーテイーである。

Pa302827  もちろん、キノコに当たって中毒死してしまっては、元も子もない。私がこうして生きているのも、図鑑をたくさん買い込んで猛勉強すると同時に、キノコに詳しい先生や山小屋の主人(たとえば東富士山荘の主人など)に教えてもらったものをしっかりと覚えているからである。「原色日本菌類図鑑」の著者である今関六也先生に、「先生の図鑑に書いてある「食」「毒」というのはどうやってわかったのですか」と質問してみると、「昔から言い伝えられたものが主だが、食毒不明なものは傘の四分の一だけ食べてみるんだよ。もし、有毒なキノコなら30分たつと下痢や腹痛が始まる。でも、少量だから死なないよ」という返事だった。くれぐれも真似しないように。私たちは先生の「実験結果」だけを利用させていただこう。(青木 淳一・横浜国立大学名誉教授)

 

2013年9月18日 (水)

私たちは自然界の一員にすぎない

 発酵学者・東京農大名誉教授・農学博士の小泉武夫さんは福島県小野町生まれ。東京電力福島第一原発からほぼ40㌔圏内。どんな所なのかは、絵本『土の話』(小泉さん著・石風社)に紹介している。その一部では、「・・・俺は、海を見ながら暮らしてきた土だ。眺めは良いし、空気も水も美味く、お天道さまもまぶしかった。俺ばっかりでなくて、まわりの生き物もみんなうきうきして機嫌よく暮らしていた」、という趣旨を書いていました。さらに、フクシマ原発事故に関しては、「そんな山菜をつむ楽しみも、魚を釣る楽しみも一瞬にして奪われた」と、小泉さんは述べていました。

微生物に生かされている人間

小泉さんは、「豊かさの根源は土にあり」ということをこの絵本で訴えたています。「人間も動物も虫も樹木もコケもシダも、みんな土の恵みで生きている。その土は微生物の固まり。肥沃な土1㌘には何十億個もの微生物がいる。枯れ草を土に変えるのはもちろん、放射性物質を吸収してくれたり、放射性物質の半減期を早めてくれたりもする。そんな研究がどんどん進んでいる。・・微生物が地球を輪廻転生してくれるんですから」と、人間が自然の恵みで生かされていることも述べています。

P9021466 ミネラルたっぷりの日本の食文化は最高

 さらに小泉さんは、「牛乳を飲んでおなかがゴロゴロしませんか。あれは胃腸が弱いからではありません。日本にホルスタインが輸入されて、牛乳を飲むようになって時間が経っていないから、日本人は乳糖を分解する酵素の働きが十分でないだけなんです。どんな民族にも長く口にしてきた食べ物があり、じわじわと体が適応していく。それが民族の遺伝子です。戦後、アメリカ人が、野菜と魚中心の食生活を見て、そんなものを食べてはだめだとばかりに食生活の改善をつきつけた、その名残が続いている。

和食は米などの穀物、ゴボウやダイコンなどの根茎、白菜、小松菜などの菜っ葉、キュウリやトマトなどの青果、そして大豆、海藻、魚・・・。どれもミネラルをたっぷり吸い込んだ優秀な食べ物です。興奮してアドレナリンが異常に出たらミネラルが抑える。そのミネラル不足になれば、キレルのは当たり前です。この60年間でざっと肉の消費量は3倍、油は4倍になったのに、ミネラルの摂取量は四分の一にまで減ったんです」と、日本文化の素晴らしさを紹介しています。(4月13日・『毎日新聞』)

P9211530 被災地で動き出している食物連鎖

13日、福島県南相馬市の被災地を見てきた。海岸から陸側へ向かって数百㍍の田んぼにはシラサギが土をついばみ、トンビがネズミを捕まえていたし、ハヤブサが田んぼを旋回していた。また、田んぼには葦やガマノオが沢山生えていた。この様子を見て、私は微生物や菌が一生懸命働いて生物社会を築いていると思った。この生物社会が豊かにならないと本物の復興はできないとも思った。

台風18号が上陸して痛ましい爪跡を残していった。被災した方々にお見舞い申し上げます。ところでこの台風は、高かった海水温を攪乱して温度を下げてくれたかもしれない。また、豪雨が多くのミネラルを含んだ水を運んでくれたかもしれない。涌井史郎さんは、先人は「いさめる知恵」があり、「自然を詠み取る力を文化にして」と、言っていた。森と生きる暮らしから自然の脅威を考えると、豪雨や強風から身を守るのにもその防御策は現代と違ってくるような気がします。

私たちは、「自然には礼を尽くし、自然と共存できる道筋を立てなければならない」(西田敏行さん)、という時代の幕を私たちが開け、そのようなライフスタイルで生きていくことが一番の幸せではないかとおもいました。

(理事・高橋佳夫)

2013年8月 2日 (金)

掃除は電気掃除機でするもの?!

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 日本の住まいの特徴は畳と板張り床です。玄関では靴を脱いで部屋に入ります。掃除にはほうきを使い、念を入れて掃除をするときにはお茶がらを畳に蒔き、綿ぼこりが飛ばないようにしました。掃除の後には、綺麗になった畳の上では横になったりして家族の団らんを過ごした経験があります。

「ところが掃除は電気掃除機でするもの」となってしまいました。今では「700万台以上の電気掃除機が買われたり、捨てられたりしています。この掃除機を動かす電力は原発1.6基分」とも言われています。

 藤村靖之さん(発明家)は、「そもそも電気掃除機は今から120年前にアメリカで発明された。彼らは毛足の長いカーペットを敷いて土足で暮らしている。その土はほうきで取り除けない。だから電気掃除機を開発したのです。・・・戦後、高度経済成長期に入ると、カーペットが富の象徴となり、皆が競って敷き、電気掃除機も普及してきます。その後、子供のアレルギーなどの問題が出現して、今度はフローリングに変わっていくのですが、すでに“掃除は電気掃除機でするもの”という習慣が人々の中に刷り込まれていました」、と述べています。 

小さなことでいいからできることをやる

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  藤原さんはさらに、「エネルギーは、食料と同様にグローバリズムに乗りやすい。今、国内で太陽電池を作っている会社は海外生産を準備している。10年後にはもしかしたら僕たちは、中国が原発から得たエネルギーで作った太陽電池を買うことになるのかもしれない。でもそのときに、そんなお金が日本にあるのか。やっぱりエネルギーは、地域レベルで循環し、それで環境や雇用が地域レベルで持続できるようにするしか答えはない。

 そう考えたら環境やエネルギーに関してできることが山ほど見えてくる。選挙民の一員として国全体のエネルギーや経済に関する政策がどうあるべきかを考えるのはもちろん、小さなことでいいからできることをする。大きいことを言う人は、言うだけで何もやらない。それは実行できないことを、自分を正当化する言い訳でもあるんだよね。人は「正しい」ことをではなく「楽しい」ことが好きだから。小さいことを楽しくやる。ひとりじゃなくてできるだけみんなでやる。これが長続きの秘訣です。」、と述べています。(2011年4月『生活と自治』より)

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 私たちのライフスタイルを振り返ると、スタイルは各国の経済や政治が無関係ではないようです。原発に頼らない森と生きるライフスタイルの創造は、その主人公である私たち一人ひとりの本物を見極める知力が大切ですね。理事・高橋佳夫

2013年5月22日 (水)

ヒトは森の扶養家族

 

 

 

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「生態系」という言葉をよく耳にする。しかし、その意味を正しく把握している人は少ない。ほとんどの場合、「自然」と同じ意味にとらえ、貴重な生態系が....とか、生態系が破壊される....とか言っている。しかし、生態系は都会の中の貧弱な公園にもあるし、ドブ板の下にもある。そこに「生産者」「消費者」「分解者」の三者がそろっていれば、生態系と言えるのである。ただ、自然と言った場合には、この三者は念頭にない。

 

 もっとも立派な陸上生態系は「森林」である。それは聳え立つ高木が率いる亜高木、低木、草本、コケに至るまでの植物からなる「生産者」、植物や動物の遺体を処理し、分解する役目を担うミミズ、ワラジムシ、トビムシ、ササラダニなどの土壌動物やカビやバクテリアなどの土壌微生物からなる「分解者」、それに生産者が作った有機物に依存して生活する鳥獣、虫などの「消費者」から成り立っている。ここで重要なことは、生態系の主役は「生産者」と「分解者」の二者であって、もし生態系を家族にたとえるならば、生産者は世帯主、分解者は配偶者に相当する。この二者が生態系をささえ、扶養家族である「消費者」を養っている。ここで胆に銘じなければならないことは、この地球上で一番威張っている人間も、消費者すなわち森の扶養家族の一員にすぎないと言うことである。残念ながら、ヒトはケムシやナメクジやダニと同格なのである。

 

 したがって、生産者と分解者が豊かで活力に満ちている金持ちの森は、たくさんの扶養家族を養える。人工林や都市の植え込みなどに消費者である動物の種類や生息数が少ないのは、その森が貧乏だからである。消費者である動物は主役ではないが、生態系の経済状態を示す指標となる。生態系の家計が苦しくなると、森は高次消費者から切り捨ててゆく。大型の肉食獣や猛禽類がいなくなる。ついで、小型の鳥獣が姿を消し、さらに虫が減ってくる。本当を言えば、生態系が劣化してきた時、消費者の頂点に位置するヒトが真っ先に消滅するはずなのである。その時はいつかやってくるかもしれない。

 

人類にとって大切なことは、生態系の中で「生産者」の主役を務めている樹木にまず敬意を表し、普段は地面の下にいて目に触れない「分解者」の働きに思いをいたし、自分たちはこの両者に生かされている「消費者」であることを自覚することである。消費者の中では例外的に強い力を持ってしまった人類は、生産者である森を破壊することもできるようになってしまったが、同時にまた森を守り、創造する力をも与えられているのである。そこにこそ、森の民である日本民族の中から立ちあがった「森びと」の存在意義があるのであろう。青木 淳一(横浜国立大学 名誉教授)

 

2013年4月24日 (水)

屋久島・鎮守の森植樹祭に参加して来ました

鹿児島県は屋久島、平内地区で行われた鎮守の森の植樹祭に参加して来ました。植樹祭当日(4/21)は、前日の雨が嘘のように晴れ渡り、気持ちのいい天気となりました。

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鎮守の森を作る会(代表 坂東五郎さん)の皆さんが、ゼロから4年がかりで準備をした今回の植樹祭は、地元の方、移住した皆さん、島外からの参加者を含めて200名を優に超えるひとびとを集めて行われました。植樹した木は17種類3056本。タブノキ、スダジイ、アラカシ、ウラジロガシなど、関東でもお馴染みの木の中に、バリバリノキ、リンゴツバキ、ホルトノキ、イスノキといった樹種が特色をだしていました。

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拍子木と地元の太鼓の音が響く中で開会式が行われ、ユンボによる大きな垂れ幕が上がるとひときわ大きな拍手が。宮脇昭先生による植樹指導があったのち、18班に分かれての植樹です。

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わたしは6班リーダー役を仰せつかり、奥にある若干傾斜した場所の担当となりました。傾斜地は森びとの宿命(笑)でしょうか。簡単な説明の後いよいよ植樹開始。林縁を含めると1平米4本ほどでみっちりと混植します。マルチングをして鹿よけネットをかけて終了。丁寧に1時間半近くかけての作業はとても充実したものでした。若干赤土が多く水はけが心配されるところもあったのですが、開会式が始まる前から参加者の皆さんと一緒に一生懸命土起こしをしため、きっと無事に育ってくれるものと思います(宮脇先生もじ~っくりと見ていかれましたし!)

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閉会式もつつがなく終わり、ふと気づくと始まる前は雲に隠れていた破沙岳がくっきりと顔を出しました。きっと主催された皆さんの思いが通じたのでしょう。屋久島は少し移動すると全く違う風景があって、そのどれもがとても魅力的です(天気も実際に全然違っていたり)。ここ南側方面からは破沙岳やモッチョム岳?がとても印象的でした。

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坂東五郎さんの思いで始まったこの植樹祭、今後は町に引き継がれていくそうです。一見、豊かな森が多く見えるこの島も、さまざまな要因で原生の森が失われつつあるようです。そのことについてはまた次の機会に書こうと思いますが、そういう事実も含めて植樹祭がいつまでも継続してくれるといいですね。植樹祭自体は、いろいろと手作りの趣向が凝っていて、また子供さんも含め若い方々が沢山参加されていて活気のある楽しい会でした。

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屋久島で植樹をするということで伺うきっかけを作ってくださいました坂東さんはじめたくさんの皆様に感謝したいと思います。また現地で出会った方々、植樹でお世話になった皆さんにも。有難うございました。屋久島最高~(小黒)

2013年4月15日 (月)

中村哲さんと連帯して、いのちを守る森の防災林をつくる

 

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 『ペシャワール会報』4月号が届いた。9・11後2001年10月、米国によるアフガン戦争という長い戦乱のなかで治安の悪化、さらに干ばつによる農地の砂漠化等によって多くの難民が発生していたアフガニスタン。

 

 この地でアフガン難民を治療し、「飢えと渇きは薬では治せない」とカレーズ(井戸)を堀り、その上飲料水だけでは農村の回復は不可能として2003年から農業用水路建設に取り組んできた中村哲さん。

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・・砂漠を緑地・農地にした写真を見てください・・

 

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 それから10年、マルワリード・カシコート連続堰がこの春、完成する予定だという。完成すれば16500㌶の農地が確保され、推定65万人の暮らしが維持されると言います。カシコート取水門と主幹水路は、なんと日本の堰と堤防工法によって造られたと言います。堰は山田堰(福岡県朝倉市)の工法が踏襲され、堤防は植樹帯堤防というものでした。

 

 「護岸」ということに関して会報には、「壁を高くすれば済むことでなく、人の安全を確保するのだから、万一浸水があっても最低限の犠牲で済むように努力が払われました。先ずは危険な場所を遊水池として耕作だけを許し、人が住まない。強力な護岸といえども過信せぬことを徹底した、といいます。技術的には、洪水の抜け道を大きく取って堰き上がりをたいてい現に抑え、予想を超える水位に対しては力ずくで守らず、越流を許しました。洪水侵入部に長さ200㍍にわたり、堤防というよりは長い小山を築き、河の表法にヤナギ、裏法にユーカリの樹林帯を造成しました。何れも根が深くて水になじみ、激流でもさらわれることがありません。万一洪水が来ても、流水が林をくぐる間に速度が落ち、破壊力を減らすことができます。」と書いてありました。

 

 そして中村さんは、「自然を制御できると思うのは錯覚であり、破局への道です。ただ与えられた恩恵に浴すべく、人の分限を見極めることです。最近の日本の世相を見るにつけ、ますます自然から遠ざかっているように想えてなりません。足りないのは、敵意を煽る寸土の領有や目先のカネ回りではありません。自然に対する謙虚さと祈り、先人たちが営々と汗で築いた国土への愛惜、そこに息づく多様な声明との共存です。」と、述べています。

 

 会報に載っている中村さんの写真顔とこのメッセージを拝読すると、元気を貯えることができました。アフガン現地で支援してきた当時を想い出し、原発に頼らない森と生きる理想郷を描いて、その実現に向けた決意を遠く離れている中村哲さんに送ります。(OWL)

 

 

 

2013年3月 7日 (木)

“旬の香りと味”は身体の機能を維持させる宝物?

 

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 啓蟄が過ぎて、暖かい日が続いています。虫たちにとっては忙しくなる前の準備体操を地中でしていることでしょう。虫が動き出すことは餌を探して子孫を残すためで、餌が無ければ死んでしまいます。虫の餌の多くは植物ですから、啓蟄は虫の餌になる植物の根が動き出すことを意味するのでしょう。

 

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 ビニールハウスで育てられて一年中野菜を食べている人間社会では“旬”の味が遠のいていますが、生物社会に生きている虫たちは常に“旬”(ビタンミンとミネラル)を味わっているのでしょうか。そんな暮らしはうらやましいかぎりです。

 

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 昨日(6日)、事務局の済賀さんと栃木県西森林環境事務所を訪れ、鬼澤所長、森づくり担当者から森づくりのアドバイスをいただきました。帰りに、地元農家の方々が栽培しているホウレンソウ等を買ってきました。このホウレンソウは葉が縮れて見た目は良くありませんが、昔懐かしい野菜でした。

 

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冬野菜は寒さで葉の水分が凍らないように葉の水分を少なくし、多めの糖分で寒さを耐え抜くと言われています。これが冬野菜の美味しさ(ビタミンとミネラル)、つまり“旬”ではないでしょうか。

 

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生体の機能が維持されている場合は、ビタミン同士、ミネラル同士、そしてミネラルとビタミンの組合せが作用しなければならないと言われています。出欠多量によって一週間ほど点滴で過ごした筆者は、退院後の食事では鉄分を多めに摂ることを考えていました。貧血の予防・治療のためにホウレンソウ等を食べようと思っていました。

 

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その気になってある本を読んでいたら、身体の機能を維持していくには単純なことでないことを知りました。つまり、「鉄欠乏性貧血の場合、鉄だけを補充すればよいというわけではありません。ビタミンCは鉄の吸収を助けるので、ビタミンCの摂取量にも注意を払わなくてはなりません。貧血の予防・治療には、鉄のほかにビタミンC・B12、葉酸といったビタミンが欠かせません」(『野菜のビタミンとミネラル』編著・辻村卓)、ということでした。

 

この本では、一年中出回っている野菜と旬の野菜の栄養素(15年間)を比較したデータを紹介しています。それによると一年中出回っている野菜よりも旬の野菜の栄養素がほぼすべてにおいてその含有量が多いことでした。

 

そんなことを知ったので、日光の店ではノゼリとノビルを買い、ノゼリは胡麻あえ、ノビルは味噌油炒めにして旬の香りと味を実感しました。まさしく「食べることは生きる基本」でした。(OWL)

 

 

 

2013年1月 7日 (月)

暮らしの基本は食べること?

P1053050  今日も冷え込みました。朝の気温は零下15度でした。雪の結晶が朝陽に反射して小さな星のように輝いていました。山道を歩くと道はカチカチに氷って歩きづらいので、このような時には雪が残っている上を歩きました。雪の森散策の後に昼食を食べました。

 今日は七草がゆを食べてみました。セリ、ナズナ、ハコベラ等の七草はスーパーで売っていましたので、それをお粥に混ぜ合わせただけでしたので春は感じられませんでした。

ビニールハウス栽培の七草ですから、セリやナズナの香りは殆ど感じられませんでした。

P1013016  いのちから食事を考えてみると、食材や調理方法が大事になってくると思います。満腹になれば良いというのでなく、いのちを基本にすると「食べることは生きる基本」になりますね。風邪をひいた時にニンニクを使ったおかずを作って食べると、身体の血が動くようなことが感じられます。

 セリやナズナの香りそして食感を感じられるのは、旬の春にそれらを体感したからでしょう。幼年時代にはビニールハウス栽培は盛んでなかったので、野菜はいつも旬の時季に食べられました。この時期に、臭覚と味覚が身体に染みこんだと思っています。今では有り難く思っています。

P1013011 散策の途中、ニホンカモシカ、イノシシ、野ウサギ、リス等の足跡が目につきますが、厳冬を生き抜く動物達のいのちの鼓動が感じられました。(写真上:5日・足尾のロッククライミング・OWL)

2013年1月 3日 (木)

原発に頼らない森と生きる暮らしとは?

P1013023  今日の朝の気温は零下13度でした。日中でも零下5~6度の森の中での暮らしはやることが多い。夜10時頃には太いミズナラの薪をストーブに入れて寝床に入り、朝方に起きて用を足したら、またストーブに薪を入れる。寝床に入る前に、窓から積雪の様子を見て布団にもぐる。天気の良い夜は月の光りで森の様子が分かる。

P1033398  朝、積雪があれば除雪機で雪をはらい、薪置き場から窓際に薪を運び、さらに必要だけ薪を室内に運ぶ。運びながら積雪の上を歩いた動物の足跡を見て、必死になって森と生きていることを知る。足跡を見て、生ゴミに気をつけなければということが頭を過ぎる。

P1013037 ストーブは薪の種類によって燃え方が違う。4~5年経った薪はどうしても雨や雪がしみ込み腐る、あるいは虫が薪に入って木質が劣化してしまう。このような薪は燃え尽きる時間が早く、炎の勢いが弱く暖かさもぬるい。燃え尽きる時間が短いといっても1時間は燃えてくれる。木の種類によっても燃え尽きる時間や暖かさが違う。ヤマハンノキやヤシャブシは燃え尽きる時間も短いし、暖かさが弱い。最高な薪は、2~3年間自然乾燥させたミズナラ。安定した暖をめぐんでくれる。

P1023044  厳冬の日でも有り難いのは、天気の良い日の朝9時頃になると、太陽の陽が部屋を暖めてくれることだ。さらに、ログハウスなので2日間もストーブを燃やしていると、木が暖かい空気を取り入れ、部屋の温度を調整してくれることだ。そして、除雪した後に飲む雪割りの酒は実にうまい。

 森(自然)と生きていくということは難しいことではなく、昔の生活に戻れと言うのでもなく、寒い時は少しばかり厚着をして、少しの汗を流して身体を動かし、その合間に森の動きを見ながら森と向き合い、そこから得る知恵と技を暮らしに活かしていくことだと実感している。森と人との関係を“ほどほど”にしていけば森と生きていくことは可能なのである。

P1023396 昨年、私たちは全ての原発が稼働しなくとも電気のある暮らしを経験した。この事実に自信をもち、時代が求めている原発に頼らない森と生きていくライフスタイルを創造・実践していくことが私たちの急務だと思う。(OWL)